松尾太介という男

いとしまジェンベ教室

全大宴3決行のきっかけとなったのは

ダイちゃんの糸島ジェンベ教室にあじニイといおまつと3人で訪問した時

クラスの皆さんからもらった

「私たちも出てみたいです!」

っていう本当に嬉しい言葉からでした。

町屋の都電をバックにアー写

そもそもダイちゃんとの「出会い」は2007年にダイちゃんがTDFの第一次コートジジェンベを買ってくれた際に

電話で色々話してて、その後はなかなか会えずでしたが2011年にフォリカンのツアーで渋谷でライブをやった際に初めて会えたんですよね。

最初は劇団アフリカのダイちゃんってイメージが強かったけど、物静かで芯の太いいい男でした。

2007年に買ってくれたあのジェンベは、その後ずっと使ってくれてて、2度ほど牛皮を張り替えてはいますが、2021年にジェンベ打夜にお邪魔した時も現役でめちゃくちゃいい音してました!

そっかー、もう16年最前線で使ってくれてる。

ってなこともあり、全大宴3実施決行の際は真っ先にダイちゃんに声をかけました。

んで、収録前にzoomで色々インタビューして、今回は糸島のクラス、福岡市内の藤崎クラス、古賀のクラス、の3クラス合同で演奏してくれる予定

ダイちゃん自身のジェンベとの出会いとか、音楽との関わりとかを話してくれました。

 

収録前夜

26日の収録本番は集まりやすいお昼からだったので、前入りして25日土曜博多のホテルを予約しました。

その旨ダイちゃんに話したらメンバー数名と一緒に前夜祭やりましょうって言ってくれてダイちゃんのよく行く大橋駅近くの焼き鳥屋さんを予約してくれました。

ホテルのある博多駅南からバスを乗り継いで行ってみようって思い、ホテル前のバス停から乗ろうとしましたが、博多ってバスがめちゃくちゃ複雑。

何度も乗客に尋ねてみましたが、なかなか要領を得ず、何度も乗り換えました。

その際「次は大楠、、大楠」ってバスの車内アナスンスが流れました。

あさだ荘6号にお邪魔した時の平田さん

大楠といえば僕が1996年に当時組んでたバンド「DORON」で、今も現役で活動されてるミュージシャン平田達彦さんの導きで九州ツアーをした際に立ち寄った平田さんの家

「あさだ荘」

がある場所。

平田さんの歌で「平田」って歌があるんですが

”今の棲家は博多は南区大楠タウン、、、あさだ荘6号”

って歌ってて、大楠って言葉に反応しちゃいました。

なんだかんだで小一時間かかって大橋駅に到着。

待ち合わせの焼き鳥屋さんにダイちゃんやクラスの皆さんが来てくれて、しばし歓談。

みなさん、いい方ばかりで、特に後で駆けつけてくれた古賀さんがもう最高!

古賀さんが「本当にジャンベが楽しくてしょうがないんです」って言うと

そりゃ、掛け値なしで本当に楽しんなだろうなってわかる。

で、ダイちゃんに

「来るときにバスで大楠ってところ通ったんだけど、昔世話になった人が大楠に住んでて」

って話したら、ダイちゃんの顔つきが変わって

(ここからその時の会話)↓

佐:「あさだ荘ってアパートがあったんだけど」

ダイ:「まさか平田さんですか?」

佐:「えーーーーー!知ってるの・・・・??」

ダイ:「知ってるも何も、めちゃくちゃ世話になった人です」

佐:「25年くらい前に俺も九州ツアー一緒に回ってくれた人だよ!」

ダイ:「僕、平田さんに野外ライブの仕切りやってみよや、松尾!って言われてやったんですよ。須崎公園の」

佐:「えーーーーー!俺、それ出たよ!!!!」

1996年DORON@須崎公園

そうです、僕が九州初ライブをやった須崎公園での野外ライブ「須崎パークフリーコンサート」、それを仕込んだのは25年前のダイちゃんだったのです。

奇跡の繋がり。

僕もダイちゃんも、そう、山口八幡ジェンベ交流会のアジ兄も、遡るとアフリカンではない音楽からここに来てるんですね。

そりゃそっか。ユージマンしかり、みんなそんな感じで「ここ」に辿り着いてるんだね。

THE DORONは今はソロで全国を演奏旅行しているヤマザキヤマトがギターボーカル、僕はギター、ベースに金子修一郎、パーカッション和田智の4人組で、ライブの半分は皆パーカッションに持ち替えて歌入りでオリジナルをやってました。ヤマトが1994年にBBモフランにジェンベを習い出したのがキッカケで、僕もそこから一気にのめり込んでいったのです。

 

出演する香さん@つるかめ

その後、もう一件。

収録会場は野外。

天気の心配をしながらの数日間でしたが

どうやら大丈夫そう。

最後まで付き合ってくれた出演される藤崎クラス&糸島クラスの香さんとタクシーで途中まで一緒に帰って

ここはひとつ呑み直し、、はせずホテルでぐっすり、明日に備えることにしました。

 

 

収録本番

翌日は予想通り快晴!

ホテルまでダイちゃんが迎えに来てくれました。

収録場所は糸島の海から少し走った福祉施設MUKAさんの広場。

ダイちゃんはMUKAさんの通所者でつくっているビリーブというパーカッショングループで毎月2回一緒に活動してます。

博多からダイちゃんの車で移動、途中腹ごしらえってことでやっぱウエストでうどん笑

以前アジにいも話してましたがダイちゃん達のウエストってチェーン店への揶揄と受け入れの感覚が凄い。

格段に旨いって訳じゃないけど不味いって訳でもなく

めちゃくちゃ安いって訳でもないけど高くなく

でもいつも開いてて。

現地到着。すでにメンバーは到着していて、毎度のことですがこの瞬間が一番好き。

初めましての各地で初めて会うジェンベに魅せられた方々との未知との遭遇です。

このコロナでの全大宴で僕は

500名ほどの「はじめまして」を経験しました。

もちろんTDFの活動を通して

会った事はないけど電話で話した事はある、とか

僕の知り合いの知り合いだったとか

でも

やっぱ「会う」って凄いことだなって改めて感じました。

 

演奏場所へ移動、なんと牧草地です。ヤギが放たれてます笑

ダイちゃんらしいシチュエーション。

以前zoomのインタビューでもダイちゃんが話してくれてましたが

メンバー、本当に皆さんいい人たちばかり。

なんというか透明でいて個性的、ダイちゃんのことみんな大好きなんだろうなって

一眼見てわかりました。

インタビューでも話してくれたあきえちゃんのイントロでスタート。

叩き出す前に「お願いしまーーす」って発した言葉の軽やかさに驚きました。

それは彼女が話してくれた「自分の短所と向き合ってる」って言葉に象徴される

「素直に素敵にジャンベを叩く生き方」

です。

前日の飲み会に来てくれた古賀さんもそう。

古賀さんは「楽しくて仕方がない」って

心から話してくれました。

みんなそれぞれの生活があって、

思い思いのいろんなことがあって、

その中でダイちゃんところに集まってジャンベを仲介として音楽を奏でて

「その場を共有する」

本当に素敵なチームでした。

最後のショフマン前にダイちゃんが入ってきて

みんなのそんな想いがギュッと集結した時の空気。

忘れられません。

ダイちゃんと30年ほど前にロックという今のアフリカンとは違う現場で会っていたという事実と

それを知らずにアフリカンを通して知り合って15年間経っていて

それが全大宴で膝をつけ合わせて呑んだ際に発覚したって事は

2022年の大きな出来事だったように思います。

映像にそんな僕の想いも込められているように

後で思い返してみた時に思うのです。

演奏後、糸島HINODEクラスの会場であるHINODEさんでバーベキューしました。

糸島のサンセットをみんなで見て

今日の演奏を肴にいい時間を共有させてもらいました。

皆さん、本当にありがとうございました。

 

290円の衝撃

翌日の福岡空港のフライトが夕方だったのでダイちゃんがお昼ご飯付き合ってくれることになりました。

その名も「はかたや」

なんとラーメンが290円!

以前、平田さんに

「ここは客人が来た時しか行かんけんノォ」

って連れてったもらった一蘭は

六本木のユキちゃんダンスクラス後に何度か行ったけど博多ラーメンが980円だった。

はかたやなら3杯食える!

その後、僕らの共通の場所あさだ荘へ。

平田さんは引っ越してしまって6号にはおらず

というか、あさだ荘はほとんどの部屋がリノベーションされておしゃれなカフェやアトリエになってました。

だって博多観光案内に出てくるくらいだもん。

その変わりようは

僕らの30年を象徴する

しかしながら全体の趣は変わっていない

まるでアフリカンやってるけどロックな僕やダイちゃん、アジにいとかユージマンもそう。

そんなあさだ荘でした。

それから太宰府天満宮や太宰府跡地にも連れてってくれて博多を満喫させてもらいました。

ダイちゃんには本当に良くしてもらいましたが、もう一つお願いをしました。

それは、来週の土曜即ち5日後に僕は今度はタカオたちの「あふりかじゃんぐる」の収録で再度福岡にお邪魔するので

撮影機材一式の入ったスーツケースを預かってもらえないか?というお願い。

ご承知のようにジェットスターはお預け荷物7KGまで、それ以上はびっくり価格っていうことで

もちろん機材一式は20KG近くあるので折角安いLCCも叩くついちゃう。

ダイちゃんは快く引き受けてくれました。

本当にありがとう!!

 

タカオ達の収録は久留米市。

全大宴1に出演してくれたおまつの親戚がいるそうで

なんと収録の旅にまたおまつが帯同してくれることになりました。

さあ!肝臓の調子を整えないとタカオとおまつと一緒の時間を共有できません。

一時避難っていうことで帰京しました。

 

続く

 

 

 

 

 

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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