寺崎タカオ

あふりかじゃんぐるのことを書く前に

タカオとの出会いを書きましょう。

僕が2001年にTDFの前身「楽屋」のサイトを立ち上げたときに

当時のSEOでは「どれだけのサイトとリンクしているか」が尊ばれていまして

アフリカン関連のリンク先をあちこち連絡しまくってました。

とはいっても当時はWEBサイト自体がとても少なくて

今は懐かしの大阪レギレギとか、ミラーボール白鳥のテンダイがアップしてたリズム譜とか

そして福岡にフォリカンってバンドがあるって聞いてサイトを見てみると

まだ20代と思しき斜に構えた榎本ユージ(ユージマン)の写真や

ヤンチャそうなウメちゃんやけいごくんの写真が載ってました。

何よりも集合写真の楽しそうなこと!

メールでリンクのお願いをした記憶があります。

ちなみにフォリカンのサイト、もうなくなってます笑

そしてジェンベと思ってよく見るとサンバンを吊りで足に挟んでいるタカオ。

この当時はヘンテコって思った立ち姿が強烈に印象深かった。

 

2003年に仕事で久留米へ行く機会があって、その時に久留米でジェンベの活動をしていた篠原ダイさん夫妻とマイミクだったので笑

「一緒に叩きましょう」

ってことで久留米のゆめタウンで待ち合わせて、駅周辺のヤマハのスタジオでワークをしてくれたのがタカオでした。

ちょうど前年にギニアで習ってきたっていう「モリバジャンサ」を教えてくれて、名前聞いた時にモリバヤッサみたいな?って思ってやり出したらドゥンドゥンのバリエーションがめちゃくちゃ楽しくて。

ヒーヒー言った覚えがあります。

その後久留米の「月人」というアジアン居酒屋で呑んで、そん時に情報誌「月刊くるめ」の人がちょうど撮影に来てたので調子に乗って写真撮ってもらったら見事に掲載されてまして、その見本誌と一緒に手紙がついていたことに

「久留米の人はなんといい人たちなんだ!」

って思いました。

その後2004年に熊本でママディのライブがあって、その前座で僕もワサワサの大さんや当時大学生だったにしやまん、今は東南アジアにいる紅葉とかと一緒に出たし、前座のトリがフォリカンでした。

正味フォリカンのライブを見るのは初めてで、その勢いと曲の構成の豊かさにまず驚きました。

そして中央で縦ドゥンを叩くタカオ、、、、、

もう驚きでした。

その当時東京でも橋本はっちゃんがナンガデフで叩く縦ドゥンが物凄いグルーヴを醸し出していたので、あの金髪仁王立ち弁慶スタイルが縦ドゥンの王道かと思っていましたが

タカオのそれはまず手数が多く、早い。

初っ端のギネファレのドゥンソロは僕にとって初めてみる超速のドゥンドゥンソロだったのです。

凄いものを見てしまった・・・・・・

前述のフォリカンウェブサイトにはタカオの紹介で「寺での和太鼓経験を・・・」と書いてあって

なるほど、バチ捌きが尋常じゃないって思ったもんです。

 

もう一つタカオといえば、って皆さんが思い起こすのは

酒豪

ですよね。

まあタカオだけではなくフォリカンといえば酒ってくらい、、、いや、今思えばユージマンもよく呑む人でしたが、フォリカン=酒っていうイメージを形成していた主な要因はタカオだったんじゃないかな。

国産ジェンベ打サミットの時とか、朝駆けで車で到着した際にナンガデフのはっちゃんが会場外でバリバリ二日酔いの様相でいたので声をかけると

「フォリカンにやられた・・・・」

と一言。

演奏終わって打ち上げでも、いつも最後まで呑んでるのはタカオでした。

 

期待高まる

全大宴3は6チーム中3チームが九州(長崎・福岡・久留米)っていう布陣で、やはり恐るべし九州って感じでしたが、北海道・石川・京都っていう他チームとのバランスは悪くなく

以前から子供達や障害を持たれてる方たちとの活動に主眼を置いていたタカオに声かけさせてもらいました。

事前訪問はせずにzoomで活動の中身を聞いたのがこちら

 

タカオの語り口の「飄々とした感じ」と

話してくれた活動内容の凄さのマッチングが凄すぎて何度見返してみても面白いです。

その当時SNSでこの動画をアップした時、ずっとタカオと一緒に活動を今もしてくれてる福岡のアジ兄が

首が取れるほど頷いている様子が手に取れるほど頷いていてくれてるコメントをしてくれてたのが印象的。

子供達とあのコワモテのアジ兄が一緒に演奏している絵を想像してはニヤけてしまう佐々木でした。

 

いざ前夜祭

7月4日収録の前日入りでまた朝イチのピーチで成田から福岡へ。

前章で書いたように前週福岡で収録した時の機材をダイちゃんに預かっていてもらったので西鉄大橋駅までと思いきやダイちゃんが空港まで迎えにきてくれました。

タカオたちの収録は久留米、結局ダイちゃんの地元西鉄大橋駅まで車で送ってもらいました。

ダイちゃん、重ね重ね本当にありがとう!

西鉄で久留米へ。

西鉄下りの風景って好き。

広大な畑、小さな山々、筑後川の育んだ田園風景はなぜか心が和みます。

宿泊は一泊3千円台と安いイルファーロ久留米というホステル。

部屋の仕切りはカーテンですがベッドが高級な寝るだけには最高なところです。

今回の収録、実は親戚が久留米にいるので会いに行くついでに収録を手伝ってくれるついでにタカオたちと呑もうっていう、全大宴1に出演してくれたおまつが帯同してくれることに。

おまつは当日入りなので、前夜はタカオと二人で久留米の居酒屋で一杯。

タカオと飲む機会は多かったけどサシで呑むのは初めて。

いつの間にか結婚して子供も産まれて

子供達や障害を持つ方々とのジェンベを通した交流をどんなスタンスでもって実施しているのか?など話は尽きません。

それでも明日の収録もある、家では奥さん子供がタカオを待ってる、、、

独身で無茶呑みしていた頃のお互いとの違いをお互いで実感しながらタカオおすすめの久留米ラーメン店へ。

もうやばい旨さだね。

帰りに20年前の2002年に初めて会った時に呑んだ月人の前を通って「呑まないで」別れました。

ホテルまで歩く道すがら

やはり久留米の駅前大通りもコロナの影響もあるだろうし

とても人通りは少なく少し寂しい。

何だかやはり九州に来たっていうだけで気持ちが「交流モード」になってるから余計に思う

コロナがもたらした全国への影響。

しかしながら同時に

「飲み屋さんとか繁華街でないと交流できない」

っていう、ともすると東京にありがちな考え方で図ってしまってて

例えば種子島とか秋田とかで感じた誰かの家で食材持ち寄りで

「しっかり交流する」

っていう、そちらの方が深く分かち合えるっていうこともあるって

全大宴を通して知ったことは大きい。

 

おまつ合流、そして本番

翌7月3日、朝おまつと合流。

一緒に収録会場である「農と音no oto」へタクシーで向かう。

会場をタカオが色々模索していて筑後川の河川敷って案もあったけど、雨の心配やらなんやらで

いつもあふりかじゃんぐるの活動拠点ともなっている農と音no otoになりました。

オーナーのデボラさんは東京でもバンド活動をしていたミュージシャンで、実家の納屋を大改造して農と音no otoを作った人。

2階の納戸がめちゃくちゃ素敵なステージになっていました。

集合時間になって続々とメンバーが到着

ユージマンクラスのヤッシーとむーちゃん、ヒロキクラスではジェンベ叩いたクロちゃんは何やら怪しい楽器を持ってきてます笑

大人から子供まで、すごい人数です。

会場の装飾も全て皆さんの手作りでされていきます。

あふりかじゃんぐるの特徴は何といっても子供たちとの演奏。

場当たり中や直前のリハーサルまでタカオを中心にメンバーたち全体で子供たちをケアしています。

もちろん演奏する子供のお父さんお母さんも演奏するメンバーだったりもしますが、ユージマンクラスでソロを叩いたヤッシーや、ラウラウクラスでインタビューに答えてくれたりソロを叩いたソースケくんなど、子供たちを盛り上げて行ったりしてます。

 

 

あふりかじゃんぐるらしさ

終始、タカオは中央でドゥンドゥンを叩きながら子供達への目配りを欠かさず

それでいて冒頭にンゴニ部の演奏が入ったり、熊本でも活躍してくれたソウスケくんやお父さんたちのジェンベソロがあったり

「子供たちを中心とした全クラスの発表」

を見事にやってくれました。

それって、相当難易度高い。

演奏を収録する立場で見たときに、子供達が不安そうな顔してたり、不機嫌になって拗ねたり、コードに躓きそうになったり、、、

ハラハラドキドキしてましたが、それをひっくるめて

あふりかじゃんぐる

なんだって合点がいきました。

バリバリに伝統のソロを覚えてぶちかます!これも然り
子供達とあいまみれて楽しむ!これも然り
そこに意見の食い違いや言い争いがあった李、それも然り

タカオがあふりかじゃんぐるって名付けた意味が初めてわかった。

 

タンタンちゃん

自分がタカオに声かけしてから「あふりかじゃんぐる」の存在を知り

色々見てみた時に特に印象的だったのが

ダンスを子供達と楽しそうに踊ってる タンタンちゃんでした。

昔々2006年の劇団アフリカ公演のDVDでとても印象的だった

アフロヘアの雷様と勘違いするアフロヘアのダンサーさん(わかりづらくてすみません!)

それがタンタンちゃんだったことはインタビューした時にわかったことで、それまでずっとあふりかじゃんぐるで子供達と一緒に踊ってるのは「あの雷様だ!」と思ってました。

その楽しそうに子供達と一緒に踊る姿は神々しく

彼女も言ってましたが、タカオとアジ兄とタンタンの3味一体のコントラストがとてもバランスが良く、そして見てる方も心地いい。

その翌日はジェンベ打夜があって、またまたアジ兄とdaiちゃんと一緒に叩く機会を頂きました。

そこになんとタンタンとヤカちゃんが来てくれて

セッション中に回ってきたソロに合わせてタンタンが踊りに出てきてくれたこと、

滅茶苦茶嬉しかった。

ジェンベ打夜、本当にいいイベントです。

前日夜は村井宏樹のクラスがPeaceであって、そこでも福岡のジェンベ好きが集まって叩き、翌日も打夜があって、そこでも集まって叩き、、、、、

もちろんPeaceのオーナーである純ちゃんの絶大なる理解と協力があっての出来事ではあるけど

そこに集いしジェンベを媒介とした

「圧倒的なコミュニティ力」

が無い限りそれは成立しない。

そこが福岡の強みであり、それは一長一短では成し得ないもの。

しかし絶対的な成功例であり、日本各地のジェンベコミュニティが見習うべきものであります。

その日の夜はまたまたアジ兄に親不孝な夜をご同行いただいて

はしご酒&はしご酒&長浜ラーメンで締めて

アジ兄宅へお世話になり、、、、、、、

最幸な福岡ツアーの締めとなりました。

アジ兄、ありがとう!

全大宴で九州を訪ねたのは

全大宴1では糸島(福岡)・鹿児島(種子島)・福岡(山口八幡ジェンベ交流会)
全大宴2では大分(福岡)・熊本
全大宴3では長崎・久留米・糸島(福岡)
なんと合計8回訪問しました。

全大宴計26チーム中8回ということは3割は九州を訪問しているっていう驚異的比率ですね!

 

旅は山場

長崎・糸島・久留米と3ヶ所の収録を終え、一旦帰京。

次の収録地は石川ジャンベクラブ。初の北陸勢です。

今回は久々にバモスくんで石川経由の京都西アフリカWestという、これまた最高の旅間違いなしコース。

石川には事前訪問していたこともあって、もう楽しみで仕方がなく

京都移動前に能登半島で温泉!とかも考えていました。

今これを書いてる2024年3月、全大宴3が2022年7月のあの時では想像もできない大変な状況だと思います。

現に石川ジャンベクラブのリーダーあきのりさんと奥さんのこずえさんが必死に動いてくれてます。

 

そんな石川ジャンベクラブ、最高な収録になります。

乞うご期待!

 

続く

 

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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