何故ジェンベと宴会にこだわるのか?

遡ること15年の2007年5月

東京の西部に位置する東大和市にRONDO フィットネスクラブというスポーツクラブで

自分が知る限りフィットネスクラブとしては日本初のスタジオレギュラープログラムとしてジェンベレッスンと生演奏アフリカンダンスがスタートした。

福岡のユージマンが2000年からトゥギャザーというスポーツクラブでジェンベのレッスンをしていたことは知っていたが、カルチャースクール枠ではなく週一のレギュラープログラムで、しかもジェンベもアフリカンダンスも100%生演奏というのは画期的だった。

予想通り活況で、アフリカンダンスに至っては毎回整理券が配られるほどの人気振り。

会員さんたちは毎回のレッスンをとても楽しみにしてくれて、翌2008年にはダンス発表会に参加。

そして何と会員さん数名はTDFのマリツアーに参加するなど、文字通り参加する人の人生が変わるのを目の当たりにしてきた。

 

そして数年して東日本大震災。

実はその当時「計画停電」というのがあったのを覚えてらっしゃいますか?

フィットネスクラブは緊急事態に備えて自家発電設備があるけれども、計画停電の時は流石に休館を余儀なくされていましたが、当時のアグレッシブな支配人から

「ジャンベは電気なくとも演奏できますよね?アフリカンダンスも併せて会員さん達を元気づけてもらえませんか?」

と打診されたのには心の底から感動で震えました。

前置きが長くなりましたが本題です。

上述のロンドを皮切りに各地のフィットネスクラブへジェンベとアフリカンダンスを導入提案を佐々木がまだサラリーマンだった時に営業して回っていて、TDFタクミと日光、そしてバンバラボーイズのけんちゃんや久美ちゃん、メタルギニーの高木&美香など関東の錚々たるメンツに佐々木が講師担当を依頼して、一番多い時には10店舗程でレッスンを実施していました。

そして会員さん達がジェンベやアフリカンダンスを好きになるにつれて「発表会」という流れが出来ましたが、当時の核を担ってくれていたタクミと日光が「ただの発表会では、あの方々を心底満足させることは出来ない」と感じていて、2012年の年末に浜松町のアフリカンレストランカラバッシュを貸し切って

呑みながらフランクに演奏の見せっこをするという

大発表宴会

がスタートしました。

これこそ全大宴の前身、リアルとネットの違いこそあれ

ジェンベと宴会

なのです。

この熱をYouTubeとzoomを使って再現したい、、、、

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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