LCCで
LCC(Low Cost Carrier)に初めて乗ったのは2018年の秋。
それまで乗らなかったのはあまりにも車の旅が好きで、硫黄島(薩摩硫黄島)に行く時ですら車で行ってフェリー、って流れだったので飛行機に乗るという選択肢が思い浮かばなかったから。
2018年秋に福岡県糸島市に移住していた村井宏樹のもとへ、彼が師として仰ぐママディケイタのジェンベの学校であるTTMDA(タムタムマンディングジェンベアカデミー)の展開について、鹿児島のよっぴーと共にディスカッションするために向かった。
TTMDA
TTMDAは元々ママディがベルギーで古くからやっていた、ママディが白人達にマンディング音楽をしっかり理解してもらいながら分かりやすく覚えやすいメソッドを軸にしたスクールで、日本は1990年代にママディが三島村に日本校を作るなど、日本のジェンベ叩きならばあのママディのオレンジ色の本を見たことがある人は多かったはず。
それをシンガポールのケルヴィンが中国を中心とした巨大な市場も意識した
「もっともっとわかりやすく、しかも体系化されたステップアップシステム」
に昇華させて、ママディもそこに乗っかった形となっていったのが2015年あたり。
そして日本のみならず韓国・中国などアジアにおけるTTMDAの指南役としてママディからも期待されていた村井宏樹は加熱する日本以外のアジア諸国と、逆に熱が下がっていく日本との温度差に苦慮していた。
ママディが病気で倒れた2007年あたりに、日本にはラウラウ・ソロ・セクバなどギニア人の現役バリバリのジェンベ叩きが来日していて、それに加え2015年までには相当数のアフリカ人アーチストが各地でワーークショップを展開していた。
皆、プレイが素晴らしい上に人間として魅力あるプレーヤーばかり。
もちろん日本人女性と結婚して来日するパターンが多く、地域のコミュニティにも根差したワークショップには「ジェンベ上達」以上に多くの魅力があった。
だからともするとママディのわかりやすいメソッドをもってしてもその魅力を上回ることが難しかったのかもしれない。
宏樹の他に東京の岩原大輔・みしまのけんさんもTTMDAに関わっていたが、それぞれがそれぞれの状況の中で新たな生徒の開拓が出来ずにいた。
しかし宏樹は本当に遮二無二頑張っていた。それは側から見ると孤独な挑戦にも見えたし、逆にそんな頑張っている宏樹を応援したい気持ちが満ち満ちてきた。
よっぴーや僕以外にも日本では仙台の慎吾、埼玉のユウキン、山形のアジキン、鹿児島の広大がTTMDAのインストラクターとして自分達もママディのメソッドをもっと理解して行こうとした。
からの2018年糸島訪問だった。
そこで感じたこと、、、、それは
宏樹はどこまでもママディが大好き
ということ。
そしてその時思ったのは、僕もアフリカンを始めた当初聴いたママディのサウンドに衝撃を受けてのめり込んだ人間の一人だってこと。
一言凄かった。
昨年ママディが亡くなってしまった今、改めて本当に微力ではあったけど2019年にTTMDA東京予備校を開校して30名の受講者の課題解決具合を宏樹に見てもらって、そしてそれがママディの耳に入って「佐々木はそのままジェンベ愛好者の開拓に邁進してほしい」とメッセージをもらったことが
自己満足ではあるけどよかったなって思う。
譜面がないと理解できないっていう「一定の層の方々」にTTMDAのそれは本当にマッチしていたと思う。
宏樹の凄いところ
村井宏樹、、、、本人の好む好まざるに関わらず昔から叩いている日本のジェンベ愛好者は「フォリカンの宏樹」というイメージだと思うが、フォリカンを知らない最近ジェンベを始めた人々にとっては劇団アフリカ・TTMDAのイメージの方が強いかもしれない。
僕が思うに宏樹の凄いところは・・・
高次元で様々な表情のプレイができる癖に不器用
というところ。
例えばメキシコMontereyで行われたTTMDAのパフォーマンスでもダンスのリードは全て宏樹が
劇団アフリカではいろんな雰囲気の曲を使い分けて
でも、そのくせ素っ頓狂で抜けてるところも沢山
そんな宏樹だからこそ糸島へ移住した後も博多のクラスは続いているし、糸島のクラスも年代職業も多岐にわたる人々が、宏樹がママディに対してそうであったように
宏樹が好き
その一点でクラスに来られていると2018年にクラスにお邪魔した際も、今回全大宴の収録でみんなと対峙した際も感じました。
収録についてはその2へ続きます。