アフリカンダンスデビュー

今から20年近く前、ジェンベとアフリカンダンスがセットだって初めて知ったのは古石場の寺崎さんクラスに通ってた時、当時ジェンベクラスの後にユキちゃんがダンスクラスをやっていて(確か葉子さんの代行的にだったと思う)、そこで初めてダンスの伴奏を体験した。

もちろん下手っっぴで伴奏も申し訳ない程度の実力だったけどえも言われぬ楽しさと重大な任務に対する畏怖を感じた。

んですぐにジェンベが上手くなりたい一心でアフリカンダンスをやってみようってことになって調べたけど当時はまだインターネットが普及したてだったせいもあって東京ではアマラカマラクラス・武田マリさんクラスくらいしかヒットしなく、俺なんてついていける感がしない本格的なクラスだったから躊躇してました。

しかし、検索を進めると何やら怪しい「モッコリー」っていうおっさんワードのクラスが出てきて

「このふざけた感じならいけるかも!」

ってことで問い合わせて早速踊りに行ってみるとそこには橋本はっちゃんと岩原大ちゃんがドラマーとして来てた笑

なんだ!この近さは!!

それがメチャ楽しくて。

もちろん全然踊れないし、すぐにバテちゃうんだけど、太鼓で踊る楽しさは、なんか例えようがないけど本当に気持ちよかった。

そしてクラスに踊りにきている人たちもメチャ面白くて、メチャ踊れる人も、そんなでもない人も、男性もいたし、そのバラエティ感はモッコリークラスらしいものでした。

そん時にバングラケの茅ヶ崎海岸ジェンベクラスでも一緒に叩いたテルミーがいたんです。

テルミーはジェンベもダンスも上手で、それでいて若くて可愛かったから目立ってました。

震災後に故郷秋田へ引っ越したこと、そしてここ数年ジェンベとダンスの練習会をやっていること、はFacebookで見てましたので全大宴やろうと決めた2020年10月末くらいにテルミーにこれこれこんなのやろうと思ってるってメッセージしました。

もし一回目が上手くいって二回目ができるようならば出てもらいたいって。

それとまだ会ったことがないテルミーの旦那さんに会ってみたかった

それは秋田の話を周囲にするたびに

おかも、いいよーー

ってみんなが言うから。

あ〜呑みたい

って直感的に思ったんです。

 

農Music農Life

そしてもう一人、2回目の全大宴をやるとしたら必ず声かけしようと思っていた男が四国四万十にいました。

彼は震災後数年前に高知四万十へ移住して、そこで彼の大好きだったDibonを地元の人たちと共有する「Dibonクラス」をやっているって情報を聴いていて、うわ!すげーって思ってた。

小川潤一郎

潤一郎から受けた衝撃は沢山ある。

2003年から始めた真夏の野外奈良道場、記念すべき1回目からハッちゃん・高木と一緒に来てくれた潤は「いい公園ですねー」って言って昼の休憩時間に林の中に入っていった。

そして徐に叩き始めたそのジェンベの音が凄すぎて唖然とした。

音が生き物みたいだったから。

2001年あたりから彼を知ってたけど、いつもドゥンドゥンを超絶叩いていて、ジェンベの音を聞いたことがなかった。

潤については今やジェンベ叩きで彼を知ってる人は少ないかもしれないけど、サンバララ村に一番最初に行き着いた日本人なんじゃないだろうか。

今、誰もが叩いたり絵本の読み聞かせとかで使用しているあのバラクランジャンは潤がサンバララから持って帰ってきて奈良さんとシェアして、奈良さんが日本中でツアーする度に伝えていったっていう経緯があることも意外と知られていない。

潤の忖度しないストレートな物言いから一緒に演奏する度によく怒られた(笑)

それでも「ちょっと貸してください」って取り上げられたバチで叩き出すそのリズムのうねりに心底痺れた。

本当に凄い男。

その潤に電話して話した。

そんな潤が震災後に四国へ移り住んで農業して農業のリズムをワークショップで地元のみんなとシェアしている、、、、そんな潤を全国のジェンベファンに知って欲しかったし、今、どんな想いなのか?もインタビューしたかったから。

結論から言うとNOだった。

今は農業にしか興味がないと。

それほど農業っていうのは物凄いと。

僕がアフリカで学んだことは技術やリズム、名前等ではなく「生き方」です。と。

何故かめちゃくちゃ腑に落ちた。もちろん僕は農業をしてないし、その苦労を体感もしていない。

けど、あの超絶な潤一郎をそこまでのめり込ませる農業の魅力も何となく想像できた。

あのあと潤が送ってくれた、彼が作った野菜を噛み締めながら、今まで自分には多分できないって思って興味を示さなかった「農業を核とした田舎暮らし」が少し自分の意識の中に入り込んでくるのを感じたんです。

それはこの全大宴2の各地訪問でさらに肥大することになるなんて、、、、。

 

武者震い

先の電話の最後に潤から

「東曜、頑張ってますよ。東曜なら協力してくれるかも」

って東曜を紹介してくれた。

三好東曜。

ついに出たか、、、と正直武者震いがした。

あれは確か2007年のジェンベ打サミット。第一回目の打サミのカニンカンで脳天直撃された話はドゥニヤカンの時にしたと思うが、カニンカンで出演していた東曜とは全く別人の東曜が突然ステージ後方のスクリーンに映し出された。

お遍路として。

その後、東曜が地元香川県綾川町で政治家として町長選に立候補した話を耳にしたときに一瞬私の脳みそが揺れた。

確かに揺れたんです。

そっか、東曜は潤一郎とはファムゥドゥの兄弟弟子だ。

これは凄いことになってきたぞ!

全大宴2は新たなる出会いの連続。

どうしてあのギニアの村スタイルでサイオンの現地ツアーやったりしてる東曜が政治家になろうと思ったのか?

これで彼が出演OKしてくれたら思いっきり突っ込んでみよう、って

 

また違う武者震いをしたんです。

 

続く

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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