おまつと抱腹(訪福)

山形から始まった愛に育旅の最終地は

ユージマンクラスでした。

数年前に福岡から大分へ移住していたユージマン。
それでもジェンベのクラスは福岡市内・大牟田・太宰府と、継続して実施していました。

アジ兄(左)と大ちゃん(右)

大分のユージマンのところへ行く前に福岡市内クラスの生徒さんにインタビューさせてもらうため、そして全大宴1に出演してくれた山口&八幡ジェンベ交流会のあじにいと松尾大ちゃんが主宰している誰でも気軽にジェンベを楽しめる会

「ジェンベ打夜」

に参加するために数日前に前入りしました。

その際、全大宴を思いついた朝から関わってもらってる、つるもくのおまつに帯同してもらい、ジェンベ打夜で福岡のみんなと一緒に叩いたり、ユージマンと絡んだりして、おまつの目で

俯瞰して全大宴を評してもらおう

と思ったんです。

僕は基本、多動で・猪突猛進で・ブレーキがぶっ壊れてて、特に全大宴については石橋を叩く前に三段跳びで渡り切ろうとしてるヤツなんで、ましてやおまつは全大宴1で実際に生徒さんと対峙して、演奏して、宴会して

「どうだったのか?そして今どうなってるのか?」

を身をもって感じている。

だからこの事前訪問から何か見えたもの、感じたことを教えてもらい、今後の流れに活かしたかったのです。

 

松戸〜成田〜福岡

ユージマンの大分の田んぼを見たりインタビューするのは7月の22日木曜日。

ジェンベ打夜は火曜日なので2日ほど前入りですが、毎週火曜お昼におまつに講師をしてもらっているフィットネスクラブのレッスンが12時半に終わって即、成田へ移動。

松戸から新京成で鎌ヶ谷駅で乗り換えてチョッぱやの快速エアポート成田で成田空港へ。

14時55分発ピーチに搭乗。

ピーチのいいところは成田空港第一ターミナルから乗れるので安心ってとこ。

でスムースに17時に福岡空港へ。

その間なんと4時間半!早!

おまつは知り合いに会うということなので、佐々木単身でお目当ての「一心亭」へ。

例によっておでん、生、長浜ラーメン、焼酎、、、ってやってたら入り口から怖いお兄さんがこっちに向かってやってきました。

アジにい、いつの間に金髪モヒカンになってる!

ガラわるぅ!

 

ジェンベ打夜

アジにいと一緒にそこから会場まで機材を積んでる車で移動。

ジェンベ打夜は一心亭から歩いて少しのライブハウス「Peace(ピース)」でもう結構長いこと実施してて、自分が思う博多の中心地「親不孝通り」を抜けたあたりに一心亭やPeaceやアジにいの家とか密集してて、そこはかつてのめんたいロックが躍動していた場所あたり。

それが無性に嬉しかった。

Peaceに到着。

peaceは2棟の構成になっていて、バーの棟とライブハウスの棟が分かれている。

既に大ちゃんや参加者さんたちも来ていて、久しぶりの方々含めてしばし挨拶でまったり。

そうこうしてるうちにおまつも到着、ユージマンクラスでインタビューさせてもらうヤッシーとむーちゃんも準備ができて、佐々木はバーの棟でインタビュー、おまつはライブハウスの棟で叩き始める。

インタビューの模様はユージマンクラスの際に詳しく述べますね。

そしてヤッシー&むーちゃんと共にライブハウスの棟へ移動して、一緒に叩き始めました。

ジェンベ打夜は大ちゃんとアジ兄が交代交代で「指南役」を努めます。

一応、西アフリカのリズムをベースに、初級者がいる際には親切なレクチャーからスタートして、だんだん盛り上がってくるとソロをガンガン回していきます。

ドゥンドゥンも交代しながら、その場にいる全員が楽しめるように指南役が配慮していくっていう感じです。

おまつは大ちゃんのジェンベを借りてノリノリです。

僕もおまつも、東京から来たある意味「よそ者」ですが、みんなは本当に心から仲間意識持って一緒に叩いてくれたのは本当に楽しく、嬉しかった。

僕は一心亭で結構呑んじゃって(あそこの焼酎はヤバいって、ユージマンもアジ兄も、みんな言ってた)、ノリがディープになりすぎちゃって、アジ兄にチラ見されながら「ニヤっ」とされちゃいました。

その日は打夜終了後も親不孝界隈ではしご酒。

おまけに朝までジェンベ談義した朝焼けの長浜ラーメンが凄まじかった笑

 

翌日はお昼から大ちゃんの「いとしまジェンベ教室」があるということで、いとしまのHINODEカフェまでアジ兄が運転してくれて行ってきました。

大ちゃんのクラスは、これまた大ちゃんの人柄がたっぷりと染み込んでる、めちゃいいクラス。

ロケーションも素晴らしかった。

そこからまたアジ兄宅へ移動。

我々を車で宮崎から迎えにきてくれるユージマンは22時くらいの到着予定。

なので夕方から、おまつとアジ兄にインタビューです。

ズバリお題は

★全大宴に参加、その時どうだったのか?その後みんなはどうなってるのか?

です。

アジくんの山口八幡ジェンベ交流会、発表のトップバッターだったわけですが

あのガッツリソロ&ダンスをかましてくれたともちゃん筆頭に「爆発系」のキャラが多いチーム。

全大宴を経てさらに盛り上がった人と、いったん休憩しますーって人、極端に分かれたそう。

おまつには今回の帯同に深く感謝すると共に、全大宴についての感想ももらえた。

全大宴の創生期には

「それがどういうものになるか?」

全く想像できない中で、手探りでやれたのも、おまつやアジ兄、また参加してくれたみんなが同じ

「苦しい境遇はみんな同じ!作り上げていこう!」

という超ポジティブな思考になってくれたからだった思います。

つるもくのみんなはどうだった?の問いに、最初はクールだったけどだんだん盛り上がってきて

収録の日が最高潮

だったって。

そして今の状況は、というと(収録当時は第4波ちょっと前)施設が時短になっちゃって、、、、

 

そしてその時点で秋の収録に向けて、施設が使えないなどの厳しい状況下で練習している全大宴2の方々にアドバイスを。

課題も。

つるもくは狭い公民館の室内だったこともあってマスクをして叩いていた。

全大宴2はラウラウクラス・ランボークラス・ダビットクラス・ママディコナテクラスという4人のギニア人ワークショップチームが出演する。

おまつもアジ兄もそこ含めて楽しみにしてくれてました。

 

そしてジェンベで繋がる様をこの二日間で目の当たりにした3人はユージマンの到着まで親不孝通りへ繰り出していくのでした。

 

改めて思うこと。

身を置く場所があることの幸せ。

もそうだし、クラスという場を作っているおまつもアジ兄もそうだし、

そこでジェンベという楽器を媒介として集う仲間たちもそうだし、、、

そして

全国に点在しているそのそれぞれの仲間たちを繋ぐぜ全大宴。

2の収録は結果的に伸び伸びになっちゃってるけど、絶対素敵な場にするぞって

改めて心に誓うのでした。

この後、ユージマンが来てくれて、しこたまのんで、翌日一緒に大分へ向かったのでした。

その辺はユージマンクラス編で!!!

 

続く

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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