ダビットシラ
2017年、TDFでジェンベを購入してくれた方が東広島の方で、ジェンベを習ってみたいっておっしゃっていたので、一度だけ打サミ第一回目の時の大さん通じてあったっきりだけど、妙に覚えていたヨーコさんが確か広島にいらしたなとおもい
「クラスを紹介してもいいですか?」
ってフェイスブック経由で聞いたんです。
たしか広島にダビッドさんっていうギニアのジェンベ叩きがワークショップをしていて、サポートをようこさんがやっているって、たぶんフェイスブックで知ったのかな?
その時、よーこさんがダビットと結婚されて広島にいるって本人から聞いて
「よろしければ是非ご紹介ください」
って快諾してくれたんです。
広島って土地は実は自分の父が山県郡という山奥に疎開していたこともあって、とても身近に感じていたし、モミジとかもいたからいつかはジェンベで行ってみたいと思ってた。
そんなのもあって、全大宴を企画して収録に走り回ってたある日
「もし第二回をやるとしたらあったことのない、ギニア人講師とか、知らない土地に行ってみたい」
って思って、札幌のタマチャンたちの収録前のホテルでヨーコさんに
「こんなのやろうと思ってるんですが、ダビットクラスで参加してみませんか?」
ってメッセージを送ったんです。
ヨーコさんはクラスの生徒さんに打診してくれたんだと思います。
3月6日の配信前にダビットクラスに行ってますっていう方から
「そのタイミングで見れないんですが、アーカイヴは見れますか?」
と熱烈なメッセージが届きました。
そう、ダビットクラスのリーダー「ちっち」からでした。
「ワクワクが止まらない」
ってメチャ嬉しいメッセージをくれました。
そしてヨーコさんに既に次回実施の際はぜひ出演してくださいって伝えてますと返信しました。
ちっちはその上でコロナや今のクラスの状況踏まえて「不安」と思いながらも出たい気持ちを素直に伝えてくれました。
実はこのちっちのメッセージが
全大宴2をやろう!
という決定打になったのです。
大竹駅で
夏前の事前訪問で、東曜のところから瀬戸大橋を渡って、岡山から新幹線で広島へ向かいます。
瀬戸大橋は人生初!
高松駅でビール買って呑みながら、もう完全に旅気分です。
岡山・広島と乗り換えてJRで大竹駅でダビットとよーこさんと待ち合せました。
ダビット。
なんて暖かな笑顔の人なんだ
もうね、すぐわかった。
この人は凄い人だって。
広島市内で修理に出して治ったばかりという車に乗せていただいて、お住まいのある美和町へ。
美和町、美しく和やかな町、、、、文字通りの場所でした。
圧倒的な自然。
そしてその圧倒的な自然の中でダビットのジェンベKANが木霊します。
インタビューでよーこさんが話してくれたように、ここではジェンベの音を周囲に気にすることなく叩けるそうです。
(静岡のさとみちゃんがやってる音声ポッドキャストstandfmでも聴けます)
「どんどん叩いてくれ!イノシシが逃げるからありがたい!」
と。
畑を荒すイノシシを撃退してくれると喜んでくれている。
でも、それは「誰でも」ではなかったと思います。
ダビットとよーこさん、そして愛娘のマビちゃん「シラ一家」だったからに他なりません。
ダビットの笑顔にはそういう力があると思います。
つんさんは広島の繁華街の真っただ中で畳屋を営む傍ら、もともとプロのパーカッショニストとしてピコという教室をされています。
そして何よりのダビットたちを応援してくれている凄い人です。
その後、つんさんとともに広島お好み焼き「大松」へ。
そこには自分の20代の時から世話になっていた藤井康一さんもよく来るお店。
目の前で広島お好みを焼いてもらいました。
そこにダビットクラスのリーダー「ちっち」も駆けつけてくれました。
なんとちっちは3人目のお子さんをご懐妊してて、収録のころはおなか大きくなってるかもね、、なんて笑いあいましたが、。
それが10月の臨月までずれ込むなんてそのときは予想だにしませんでした。
コロナ第5波は8月から9月にかけて猛威を振るい、各チームの練習場所も閉鎖されたり、収録スケジュールも幾度となくスケジュール変更を余儀なくされました。
収録当日
そして迎えた10月22日23日24日の名古屋・熊本・広島の「トリプルヘッダー」最終日。
熊本の大さんのお店でマクロビランチを頂き、駅まで大さんに車で送ってもらいました。
別れ際大さんから強烈なエールをもらって、九州新幹線に乗り込みました。
広島駅からつんさんの畳店まで景色を眺めながら歩きます。
太田川、遠くに見える原爆ドーム周辺、そして本来クラブや飲み屋、キャバクラがひしめき合う繁華街もほとんど閉まっている中で、異彩を放つ畳店!
扉を開けるとそこにはスタンバイ完了!臨戦態勢のみんなが待っていました。
ちっち
この日を迎えるにあたり、ダビットチームには様々な葛藤があったと思います。
まずは広島市内での練習が施設閉鎖により8月9月とできなかったこと。
そしてリーダーであるちっちの出産が近づき、収録日程調整にリミットができたことなど。
心の持ちようによっては
ガッツリ練習しなくてもその時の状況次第で臨めばいいじゃないか、、という考え方と、折角の機会だからしっかりやれるだけのことをやろう!という考え方と。
ちっちが全大宴に参加してみたいと思ってくれた動機は、彼女が全大宴1終了してアーカイヴを見てくれてすぐに僕にくれたメッセージからダダ洩れでした。
やれるだけのことはやりたい。
全大宴1の配信から既に7ヶ月。
彼女の葛藤はとても大きかったと思います。
そこを全面的にフォローしたのは、おそらくヨーコさんはじめ、仲間の皆さんでしょう。
そんなちっちの気持ちの篭ったオープニングの合図でした。
つんさん
ダビットを来日当初から支えてくれ続けている「つんさん」。
マネの緩やかな雰囲気から始まる中、つんさんのギラついたソロが始まりました。
とても御年70代の叩き出す音ではない、編集前にこの映像をTDFの工房で見たタクミが「凄いっすね」と言ったのが何より印象的。
そしてキメを経て一気にKassaへ
ここでちっちのソロです。
この7ヶ月のいろんな思いが込められた、
めちゃくちゃいいソロでした。
そんなちっちを隣でなんとも暖かな眼差しで見つめるつんさんもとても印象的でした。
ダビットへの想い
ちっちのソロから一旦ブレイク、よーこさんの歌にクラスのみんながレスポンスします。
そこでみせた松浦さん、マックさん、西島さん、ヨーコさんの何とも楽しそうな笑顔、そしてそこからおもむろに叩き出てきたダビットに向けた魂のこもった応援の声。
ダビット、本当に愛され、信頼されています。
今回、4人のギニア人ワークショップ講師のチームに参加してもらいましたが、ダビットだけはそのプレイを一度も生で見たことがなく、実は内心不安だったのです。
同じスス族のラウラウにしろランボーにしろ、その超絶ぶりは嫌ってほど見てました。
しかし、そんな思いがめちゃくちゃ恥ずかしくなるほど、ダビットのプレイは本当に凄かった。
何つーか
「愛で溢れた音」
を初めて間近で聴いた気がします。
はっきり言います。
コロナが何とかなったら、是非ダビットの「それ」に触れに行ってください。
叶うならば美和町に行ってダビットクラスが受けられたら、、、、
人生変わると思います。
お好み焼きとは
その手際のいいこと!
そして何と驚くべきはつんさんが「広島お好み焼き」をその場で焼いてくれたのです。
つんさん曰く
「お好み焼きっていうのは、自分の好みのものを焼く、という意味で、セオリーなんてないんじゃ」
つんさん!それ、つんさんのプレイに出てましたよ!
ご馳走様でした。本当にありがとうございました!
そして嬉しいことに仲間のしるしのお揃いのTシャツを着せていただきました!
本当はその時期に東京からやってくる僕に、少なからず不安はあったと思います。
それは至極当然のこと。
しかし、それをおくびにも出さず、迎え入れてくれて、ご馳走まで作ってくれて、お揃いの衣装まで下さった、、、、、
もう感謝しかありません。
こうして書いてる間も、みなさんに会いたくなってくる。
今度はぜひ一緒に叩かせてください。
最後にダビットとよーこさんにインタビューした際に、一番印象に残った言葉です。
信頼、その通りだと思います。
熊本
時は巻き戻って7月の頭。
全大宴2のもう一つの大きな目的は実は
大さんに会いたい
でした。
コロナ前、2019年12月頭、フォリカン20周年パーティがあって福岡に行った際にユージマンたちに
「大さん、どうしてる?」
って聞いた時、どうも調子が悪そうと。
その日から程なくして大さんが脳梗塞で入院したとの知らせが入りました。
大さんとの歴史は2002年からになるので、自分にとって倒れた大さんに会いに行けないということが
物凄い苦痛と良心の呵責となっていたのです。
続く