憧れの沖縄

バブル絶頂期に夜学に通っていた僕は

ハワイだ沖縄だって浮かれてるOLや昼間の大学生を尻目に

とにかくバンド・働く・大学・バンド・・・って暮らしをしていたので

バブルの華やかさとは全く無縁。

それでも90年に社会人になっていきなりグアムだハワイだって社員旅行で行ったものの

沖縄にはもちろん行った事がなかった

そう、その頃は1ドル80円台まで円高で海外に行った方が安かったのに対して

沖縄旅行は変わらず高かった。

それでも憧れは物凄かったのである。

今もたまに呑む中学からの悪友トラは沖縄生まれ。

僕らは1965年生まれだからその頃はまだアメリカだったわけで

トラはルートビアを飲みながら餃子をソースで食べる男だった。

この5月15日、沖縄は返還50周年を迎える

そんな地に2021年、人生56年目にして初めてジェンベきっかけで初めて音連れることになる。

 

ママディ・コナテ

僕がママディに初めて会ったのは2015年、日本ジェンベフェスバルが鹿児島県三島村の硫黄島で行われた時。

ファムドゥコナテがババラバングーラとともに来日、日本、韓国や中国などアジア諸国はじめヨーロッパからも100人近い受講者が集まった。

ママディにとってのファムドゥコナテがどれだけ偉大であったか

サポートでドゥンドゥンを緊張の面持ちで叩いていたママディを見て痛感したもんだ。

ママディの優しい笑顔と奥さんのなっちゃんの肝の座った感(笑)が印象的だった。

 

お誘い

実は見返して思ったんだけど、全大宴1を仕掛けていた2020年秋、既に全大宴2を見据えていた。

それは10月28日には既に沖縄のなっちゃんに

「来年Vol.2やる気で是非ママディさんの生徒さんと出演して欲しい」

オファーを出していました。

でもきっと通年でママディ達が実施していたギニアのダラモンツアーと被っちゃう可能性もあったので、その辺りもうかがいつつ。

そして全大宴1終了して少しした4月に正式にオファー出させてもらいました。

そう、既にオファーをかけていたラウラウ・ランボー・ダビット、そしてマリンケ族のママディクラス、

総勢4つのギニア人クラスが揃って参加してくれるようになればこんなに素敵なことはないって思って。

なっちゃんは本当にカラっとした気持ちの良い女性で、夏であれば参加できますって回答してくれました。

 

人生初沖縄

早速6月13日、梅雨真っ只中ではありましたがママディ達のところへ事前訪問。

事前訪問は5月末の山形に次ぐ2件目。

沖縄へは様々な航空会社がフライトしていますが、5月のコロナ第4波後で多少感染者が抑えられていたとはいえ、どこの路線も比較的安くチケットが取れましたので、憧れの(笑)羽田からソラシドエアで飛びました。

空港を出た時の「ムン」とする空気、、そうグアムやハワイのそれとおんなじですね。

バスで待ち合わせのバス停で再会、車に乗せてもらってママディ達のチーム名である

「KONKOBA」

のメンバーで、元々は湘南に住んでいたけど今は沖縄に移住している亮太くんの家へ。

亮太くんはママディ&なっちゃんをドラマーとしてしっかりサポートしている、

ラウラウにとってのユウキンのような存在。

そのまま更に北上して名護よりさらに北へ行った練習場所である「夢有民牧場」へ。

この辺りの海はウッパマビーチとか長浜ビーチとか、いわゆるTHE沖縄の天然ビーチの代表格という場所。

しかしながらママディ達がよく叩くこの夢有民牧場はやんばるの森の鬱蒼とした木々の中にある、ビーチリゾートとかそんなモンじゃない

「もう一つの、いや、本当の沖縄の魅力」

がたっぷりな場所でした。

 

あいにく雨が降ってきたので納屋のようなこれまたいい感じの小屋で叩いたり、スイカ割りしたり、踊ったり、、、

帰りはスコール。

道路から水が噴き出してるのに、他の車も全然意に介さず普通に走ってる・・・・

南国!

その後、スーパで買い込んだ

沖縄でしか見た事がないオリオンビール

をママディのお宅でガッツリ呑んで、ママディ・なっちゃんと結構話し込みすることができました。

ほんと、めちゃくちゃ楽しかった。

翌日のインタビューはこちらをご覧ください。

最後に書いてますが、めちゃくちゃ印象的だったのは

ママディが

「畑で演奏するのに、農業のリズムを演奏しないのは、畑が可哀想」

って言ってたこと。

ママディがどんな育ち方をしたかがわかるせりふでした。

 

しまんちゅナツコ

そして迎えた収録本番は10月10日

日本では一番晴天率が高い日、、、、、、じゃなかったのか?

台風18号は超大型

おまけに19号も発生

ん?ひょっとして俺?雨男ならぬ

嵐を呼ぶ男?

本来無風晴天ならばそれこそ沖縄の海で収録、それはもう種子島のあのロケーションに匹敵するような物凄い絵が撮れる。

しかし、まだ土砂降りにはなってないものの朝から台風の風が吹き始めていた。

なっちゃんたちのネットワークって凄くて

電話で

「そっちはどう?」

「うん、吹いてるね。もう台風の影響出てる。」

そして亮太くんは朝から収録予定していたビーチへ出向いてくれていて、亮太くんからも電話で報告があった。

雨は降らないかもしれない。でも風が台風の風になってきてる。

それは内地の人間にはわからない、沖縄に住んで初めてわかる「勘」のようなもの。

マイクに風防つけてもおそらくは歯が立たないことも彼らはよくわかっていた。

なっちゃんの決断は早かった。

移動中、ささっとファミマの駐車場に車を停めてささっと電話をかけた。

「◉▷※♂◆♾」

「♪★$∵¥☔️✖️」

そしておもむろにガッツポーズをとった。

コザ・ミュージックタウンのイベント広場!

東京で言えばサンシャインシティのイベント噴水広場のような会場!

たまたま夕方空いていて、

そこになんとか頼み込んで借りる許可をもらったと。

なんと!!

自分だったらいきなりサンシャインシティに電話して「貸してよ」という回路には絶対ならない。

そう、なっちゃんは生まれも育ちも沖縄の

しまんちゅ

だったんだって、改めて気づいた。

繋がりが繋がりを生んで、そして頼まれれば応える・・・・・

奇跡が起こる予感。

 

エイサー=アフリカン

コザは今は沖縄市ってなってるけど、そもそもエイサーのまち。

エイサーの起源は1603年というから驚きで

その上、1956年にコザ市誕生を機に始まったエイサーまつりは

日本を代表する祭りとなった。

にもかかわらずなんと2020年はコロナで

64年続いたそのコザの人にとって命とも言えるエイサーまつりが中止になったという。

コザの人たちのショックはいかばかりか。

太鼓・踊り・唄・・・・・まさにマンデン音楽と同じだ。

500年前に琉球の人たちから伝わって64年前に始まったエイサー「日本を代表する」お祭りになっている。

これって、1235年マリ帝国から始まったマンデン音楽が1990年代に日本に伝わって、、、数十年後には

もしかしてジェンベ音楽が日本のどこかで日本を代表するまつりになる可能性だってゼロじゃない!

そのエイサー会館の前でママディクラスの演奏を収録する。

またまた運命を感じた。

ある種、綺麗な海を背景にするよりも

何倍も沖縄らしいって

ママディたちらしいって

 

なんと!

駐車場に車を停めて1階のイベント広場へ向かうエレベーターで

見たことのある、いや。よく知った顔が。

お!

全大宴1でつるもく、と、アラカリ&セッセカモンで出演してくれた

マリア

だ。

マリアは実は沖縄のママディ達と出会って初めてジェンベを叩いたそうだ。

今回はその原点回帰の意味もあったんだろう。

全大宴に3度目の出演をしてくれた。

マリア

3回とも全力投球で楽しもうとしてくれて

めちゃ練習して、実際楽しそうに叩いてた。

打ち上げも、ほとんど呑まないのに全力で楽しんでた

 

でもね、マリア。

毎回全力投球・フルタイムピッチを走り回ってシュート!

じゃ疲れちゃうよ

肩壊しちゃうよ

命と違って

ジェンベは何度やめても

ジェンベは何度でも叩き始められます。

ジェンベは逃げません。

もっとつまらなそうにしたっていいし

Must じゃなくて

Most じゃなくて

More くらいでどう?

なーんて。

 

さあ、演奏開始です。

練習やリハではいつもケンケニとかサンバンを叩いていたなっちゃんは今回叩きません。

ドゥンドゥンは全部、亮太くんと生徒さんがやります。

なっちゃんのボスキャラを事前訪問から収録本番まで見ていて思ったことは

多少厳しいことも、なっちゃんはしっかりと言います。

それは誰に対してもです。

そうしてママディクラスはメチャメチャいい感じにまとまっていた。

まるで昔、暴力喫茶で働いていた時の常連さんが言っていた

シロギスの群れがまとまるには

オコゼがその群れにいることだ

なっちゃんというオコゼがいるから

ママディクラスはめちゃまとまっている。

(演奏前の挨拶でみんなにこれを話したら、本人まで大ウケしてくれた!)

生配信の前説でも話しちゃった笑

 

音の要素

ママディのワサワサー!の掛け声で始まる辺りはさすがマリンケ一直線!

ママディの音はカラッとしてるのに優しい。まさにママディの音。

傍でウスマンや我部ちゃんがしっかり伴奏で支えてるし

何よりドゥンドゥン隊がしっかりしていたから

大人数なのに安定感があった。

沖縄は日本一コロナ感染状況が悪かった地。

「海があるからどこでも叩けるだろう!」っていう人はわかっちゃいない。

だから練習時間がそんなに豊富に取れた訳ではないだろう。

なっちゃんは言ってた。

「本当は全員ジェンベソロ叩かせてあげたいんだけど、今回は私も本人達も我慢しました」

いやいや、ユニゾンのソロもよかったよ!

そしてDANSAへと転じていくところのスピードアップとかも見てる人メチャ上がったんじゃないかな。

後ろに見えるはエイサー会館です。

そしてダンスも入り、本当にみんなガッツリ楽しんで

沖縄らしいいい演奏でした。

終わった後はハグの嵐(笑)

僕の反省点は たくさんあります。

まず周囲をコの字型に囲われた大型施設のイベント広場は

音がよく回ります。

その反響に圧倒されて

マイク配置を失敗して

ドゥンドゥン周りは良かったんだけど

ジェンベの音はほぼよく出てない。

雰囲気重視って言えばそれまでだけど

これは改善していきたい。

 

打ち上げが、こりゃまた凄かったことは言うまでもありません!

みんなと本当によく話せたし

めちゃくちゃいい時間を過ごさせてもらいました。

 

その雰囲気で11月13日もみんな集まって見てくれてたもんだんから

zoomのみんなの姿が最高すぎて

映像のトラブルとかで凹んでいた気持ちが

ぶち上がりました!

ありがとう!!

 

キンタコ〜首里城

翌日はお昼、なっちゃんが青春期を過ごしたであろう

金武町のキンタコ(KING TACOS)本店へ。

すぐそばにお母さんのお店があったり、軍モノ払い下げのメチャいい感じの古着屋があったり

「これぞ沖縄」

って、でもなんか懐かしい雰囲気のところ。

キンタコ、いやマジで美味しかった。

味もボリュームも満点。

そう、大人気でした。

そう、ママディはここでも地元のおっちゃん達と馴染んでいた。

馴染む人だね。

 

 

車でまた空港に乗せてもらう道すがら

バブル期、めちゃくちゃ人で溢れていたであろう国際通りを通ったら

ガラガラ。

数人しか歩いていない。

コロナ恐るべし&沖縄のもう一つの現実を見てしまった。

 

ママディと歩いて燃えちゃった首里城へ。

もちろん正殿付近までは行けないけど

この地が活況だった琉球の1600年代にエイサーは生まれ

そして500年経った今も沖縄の人たちにととって

なくてはならない演舞になったって場所を

ママディと二人で歩く。

急いては事を仕損じる

ついね、慌てちゃうんっすよね、俺。

でも、なぜかストンってそう思ったんです。

ママディと一緒にいると

とても心が安らかになります。

 

ありがとう!ママディ!なっちゃん!カンセレ!おどり!

そしてクラスのみんな!!

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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