道場という言葉

最初にジャンベ道場という言葉を聞いたのは

まだTDFが町屋の都電沿いのアフリカ屋にいた時のこと

名古屋からジェンベを買いに来てくれた方がアフリカ屋に立ち寄ってくれた時に

「ジャンベ道場の大表さんに聞いてきました。」

って話してくれた。

「道場」という単語は僕が2003年からずーっと続けている奈良道場とおんなじで、そん時初めて大表史明さんって人が道場をやってるって聞いて

イカつい柔道家のような人かな?

って勝手に想像してた(笑)

メールアドレスを教えてもらってたんでお礼のメールを送り、少しのやり取りでその時は終わりました。

すぐにFacebookで探したら妙竹林な衣装を着てる写真ランボーらアフリカンとガッツリ一緒に叩いてる写真

混在

していて、脳が揺れましたが。

 

メッセージ

二度目にふみくんの名前を目にしたのはこれもFacebookで、海洋ゴミを楽器にして実施中のプロジェクトが頓挫して思い入れの詰まったブイで作った

フネンゴニ

が「使用されない楽器」になってしまったため、思い入れがありすぎて解体して本当のゴミとして捨ててしまおうと思ったが、

思いとどまって、この楽器が活かされそうなプロジェクトを探し求めるメッセージを広くしてました。

こいつ、おんなじだ。

失礼ながらそん時そう思ったんです。

そのふみくんからメッセージが来たのは全大宴1の生配信から2日後の僕の書き込みへのコメントでした。

心ゆさぶられました
次回東海圏からも参加したい!

自分と同じような、ともすると偏屈とも取れるこだわりを持った人間が感動してくれて、そして次回参加したいと。

自分が2020年に感じて石橋を叩く前にジャンプして渡ったことは間違いじゃなかったんだって思えたんです。

 

住み分け

ただ、一つだけ危惧がありました。

それは名古屋のナナちゃんには既に次回出演のオファーをかけていたこと。

名古屋圏のジェンベクラス事情、以前聞いていた話だと、どうやら色々ありそうだなって思っていたので、ここは一旦自分の心と相談して決めていこうと。

でも思案したところで答えは出ず、オファーかけた順番としてナナちゃんに率直に聞きました。

でもナナちゃんはあっけらかんと「全然かぶってるメンバーもいなしし、自分らも名古屋色より静岡色が強めなので大丈夫な感じですー」「奥さんのみゆちゃんも私らのダンスクラス来てくれてますし」

って回答でした。

しかもよく考えるとクラスの性質が違う。

ジャンベ道場は僕が西東京でもう10年近くやってる超初心者向けのプレジェンベ教室「プレジェン」に近いんじゃないか。

いわゆるターゲットが違う。

そう思って4月頭ふみくんに正式に全大宴2への参加オファーを出しました。

でも実は、その時はふみくんがもう10年近くランボーたちと一緒にイベントなどで叩いてたってことは知ってか知らずかだったんです。

 

怪しい人

7月11日夕方、事前訪問でふみくんにインタビューさせてもらいました。

公園の手すりに座ってブイで作ったジェンベを叩く怪しい人がそこに待っていました。

やっぱ道場って感じの、いかにも柔道やってそうな体型!笑

しかし何という優しい声と細やかな語り口。

インタビューさせてもらった後、お宅にお招きいただき、奥さんでゴミンゾクのメンバーでもあるみゆさんお手製のお料理まで頂いてしまって、、、

改めてありがとうございました!

そこで海洋ゴミで作った楽器の数々を見せてもらって「酷いねーこれ!」とまで唸らされました。

 

共通の課題への焦り

そこで呑みながら色々話を聞くだに、ますます感じたのは、ふみくんは

柔道家のような見た目に反して物凄く繊細

ということ。

そして誰よりも「音楽一本で生計を立てていくことへのこだわり」が強いということ。

それは僕らジェンベ業界共通の課題。

そもそもマーケットという考え方が存在していない。誰がどう言い含めたところで変えようのない「マニアックである」という事実。

そして、僕らがそれをどこかで「良しとして」甘んじて受け入れていることへの焦り。

ふみくんの気持ちは揺れていました。

ゴミンゾクの活動が認知されればされるほど、そちらに気持ちの荷重が向く。

残念ながらその時僕にはそういった全てのことを解決できる方向性を話してあげることが出来なかった。

 

懇親会にて

何度も書きますが8月9月の第4波によりジャンベ道場の収録は事前訪問から3カ月後の「魅惑のトリプルヘッダー」初日の10月23日(土)13時から。

熊本へ向かう新幹線が15時発なので収録したら片付けて即名古屋駅へ向かわないといけないっていうことは、ジャンベ道場の皆さんとほとんど会話できずにその場を去ることになってしまう・・・・

ふみくんに相談しました。前入させてもらって22日金曜夜に皆さんと一杯行けないだろうか?って。

ふみくんは快諾してくれて、地元の公民館で会食の機会を頂きました。

皆さんのジェンベとの出会いとか、今の関わり方とか、、、、。

本当によかった。
これがなかったらちょいってやってきてちょいって収録してじゃぁって去っていくオジサンになっちゃうところでした。

 

収録本番

その日は名古屋駅近くのホテル(激安1泊2900円!)に宿泊、電車で収録会場であるあま市の須ケ口駅へ。

ジャンベ道場のメンバーで長身ベテランの三宅さんが車で駅まで迎えにきてくれました。

三宅さんもふみくん同様、古くから名古屋のアフリカンシーンを見てきた人です。

会場について即セッティング。

演奏する後ろには、みゆちゃんが想いを込めて描いたママディのイラストをはじめ、手作りのペナントや布などをいい感じで装飾。

世田谷のつるもく同様に自分達らしさを手作りで演出してくれてます。

ふみくんのスラップでスタート。

お!これはババラのモリバヤッサアクション!

それも相当練習してる!

まさに「道場」!

一発目のソロはムサくん!

ムサくんはTDFのマリツアーにも参加してくれてて、まさにマカン仕込みのソロ!

結果的に全大宴2のトップバッターとなったジェンベ道場。そのさらにトップバッターってことで、このムサくんのジェンベソロで幕開け!となったのです。

続いてはよーこさん。

僕はよーこさんのソロが物凄く印象に残ってる。

まずは大きくステップを踏みながら前進してきて

とっても綺麗な音色のロールを2回かました。

そして全く力みのない短いストロークで超綺麗で、かつ、きっちりニュアンスを出した音を奏でてる!

めちゃ喰らいました。

そしてホーリーのサンバンがガッツリ音量上げた時に、右手を4回突き上げてそれに応える。

そしてまた踊りながら下がってゆく、、、、、

完璧じゃないですか!!

 

ピラミッド

モリバヤッサダケカト思ったら、実はママディのAfoに収録されてるピラミッドでした。

完コピ目指して真剣にやってきたんだな。

JAAへ導入部のサンバン&ドゥヌンバの掛け合い。

三宅さんとホーリーのまさにベテランの真骨頂!

なんかね、この二人の

ソツなくこなさない感

がとっても好き。僕の好みの感じです。

やっぱ多少バタバタした方が好きなんだな、俺。それは臨場感に繋がる。

そしてふみくんも隊列に加わってエンディング!

フィニッシュ後の挨拶までしっかり組み立ててあった!

ふみくんの性格、、というよりも

そんなふみくんにシンパシーを感じた人がコアに集まってる・・・・

それがジャンベ道場だと思う。

まさに群雄割拠の名古屋に於いて独自のスタンスとスタイルで存在するクラス。

当初感じた杞憂は取り越し苦労だったかもしれない。

 

ゴミンゾク

収録が終わって、片付けて、案の定すぐに熊本へ向かう段取りとなった。

お別れにみゆちゃんから「新幹線で食べてください」と手書きの感謝を書いてくれた手紙付きのお菓子を 頂く。

みゆさんは、ほんと、凄い。

ふみくんにとっても、道場のみんなにとっても欠かせない存在だろう。

行き同様、三宅さんが駅まで車で送ってくれた。

重ね重ね、本当にありがとう!

と、このブログを書きながら昨日ふみくんが東大の学園祭に海洋ゴミ楽器集団ゴミンゾクとして出演したYouTubeのアーカイヴを見てる。

ふみくんの家で見た彼の揺れる思いは

もうすでにしっかり明日を見通して舵を切っている。

それはジェンベから離れるということではなく

しっかり俯瞰で「それ」を見れるようになっていて

 

僕は、結局何も話し合うことはできなかったけど

とても嬉しくなった。

 

続く

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA