ユージマン

全大宴2の配信は2021年11月13日、もう1年以上前のことになっちゃいましたが回顧録唯一書いてなかったユージマンクラスのことについて書きたいと思います。

ユージマンについてはジェンベファンの多くは知っていると思いますが、フォリカンのリーダーでもあり、2000年代のジェンベシーンを本人の自覚あるなしに関わらず(笑)牽引してきた人です。

その辺についてはユージマンのインタビューをご覧ください。結構さまざま呑みながら話してくれてます。

その1

その2

 

20年習う

そんなユージマンのクラスは、大分へ移住した現在も福岡・太宰府・大牟田など 今も継続していて、福岡クラスをオーガナイズしながら習っているヤッシーさんにおいては2001年からずーっと通っているっていう20年「積み重ねてきた」人です。

40歳の人であれば人生の半分ユージマンと一緒にジェンベを叩いてきた訳で、これって本当に凄いことだなって思います。

ジェンベ打夜の時にユージマンに「生徒さんのインタビューをしたいんだけど」って相談したら真っ先にヤッシーさんの名前があがりました。

 

ジェンベソロ

インタビューでは控えめな発言が目立っていたヤッシーさん、インタビュー後の「ジェンベ打夜」の時も周り様子を伺いながら比較的おとなしめに叩いていた、それでもやはりユージマンイズムを20年見聞きしてきたこともあってドゥンドゥンを叩く比率が高かったっていう 印象でした。

そんなヤッシーさんが収録本番で魅せてくれたジェンベソロ、それからインタビューに同席してくれたムーちゃんの喜びの感情むき出しのジェンベソロ。

この2人のジェンベソロは

全大宴史上一番って言っていいほど「印象に残るソロ」でした。

ムーちゃんはユージマンに習ってるソロをどれだけ一生懸命に練習していたか、がひとフレーズひとフレーズが叩けた度にカラダの中から湧き上がる「叩けた嬉しさの噴出」具合でわかるのが凄まじかった。

ヤッシーさんへインタビューしていた際はずっと傍で決して一言も口を挟まずにニコニコしながら話を聞いていたムーちゃん。

それでも「この人、ジェンベとユージマンクラスが大好きなんだろうな」ってことがわかりました。そしてこの喜びのソロ。

震えました。

そしてヤッシーさん。

ユージマンから練習中に力が入るヤッシーさんに向けて

「それじゃ踊れないよ」

ってアドバイスが入ったことをインタビューで語ってくれましたが

なんとヤッシーさん、タイコを置いておもむろにダンスを踊り始めました。

そして踊り終わるとそそくさとジェンベを担ぎ出してからのジェンベソロ!

見事でした。

まずは音が素直で綺麗。

背景の青く澄んだ宮地浜と見事に調和した、本当にいいソロでした。

 

調和

収録場所は今では閉店してしまったんですがLANDSHIP CAFEというめちゃくちゃ美味しい料理と素晴らしい眺望のカフェの前の浜でした。

ここはフォリカンが定期的にライブをしていたカフェで、そこで福岡クラス・太宰府クラスが合同で練習して演奏に臨んだわけですが、街クラスは当時は感染爆発で施設が使えずに21年春からずっと練習できずにいました。

大牟田クラスにおいては今回の演奏に参加できなかったわけで、東京同様2021年は僕らジェンベ業界にとって本当に厳しい環境でした。

その中でもユージマンを支え続けたヤッシーさんの存在は本当に大きい。

太宰府クラスの美女4人も安心してそこに乗っかれたと思います。

そこから生み出されるなんとも心地よい伴奏の響き。

決してジェンベソロだけが見せ場ではなく、アコンパの大事さを改めて感じさせてくれたユージマンクラスの演奏でした。

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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