人生初種子島
今回全大宴に参加してくれたHONACA AFRICAは数十年前に和歌山から種子島へ移住したリーダーの柴将規さんとえりさんご夫妻を中心に移住者と種子島出身者で構成されたグループ。
「全大宴ってグループが出演していいの?」
って疑問を持った方も、もしかしたらおいでかもですが、ホナカは前述の肥後和明が定期的に「グループワーク」を行なっていて、しかもメンバーそれぞれの「ジェンベに対する熱量」が半端じゃない、まさにワークショップだと判断しました。
そして、もっと言うと島でジェンベに対して肥後さんと一緒に濃密な時間を過ごして練習している彼らを全国の皆さんにぜひ見てもらいたい!って思ったので、逆に「うちらでいいのですか?」と戸惑う柴さん達に佐々木が無理言って説得しての参加だったわけです。
なので。今回はちょっと長いですよー。あしからず。
馬毛島
鹿児島港から船は右手に硫黄島を眺めながら更に南下していきます。
そしていよいよ種子島の平坦な姿と、その向こうに高い山々のある屋久島も見えてきました。
その時、ゴッヒーが
「佐々木さん、馬毛島って知ってます?」
って唐突に聞いてきました。
まげ???肥後さんが言うのでついチョンマゲを想像してしまいましたが、肥後さん曰く馬毛島は種子島のすぐそばにある小さな島で、そこに米軍が使うであろう十字型の滑走路が既に作られていて、なにやら防衛省とアメリカと開発会社と、、、黒いお金が動いている、らしい。
それで僕らが島に上陸する日が種子島の北部の西之表市長選があって、基地建設反対を表明している現職の八板氏が当選したという。
しかしその票差はわずが144票だったということは、これから一筋縄ではいかなくなるよって、種子島のみんなが言っていた。
驚くべきはその市長選の投票率。
80.17%
島や自然を心から愛する人たちばかりだからかもしれない。
フェリーが西之表港に入る。港の界隈は発電所があったりホテルがあったりで、思っていたよりもひらけていた。
そして待合所に、いました!柴さん!!迎えにきてくれてました。
柴さんとは、実は会うのは2回目。
TDF15年来の古くからのお客さんで、何度も電話ではお話ししてるのに、前回はマリツアー行く前に町屋へ寄ってくれて、その時以来です。
運転してくれてる柴さんを差し置いて呑む訳にはいかないのに「ぜひどうぞ!」って言ってもらって呑んでしまう、本当に意志の弱いところをいきなり曝け出してしまいましたが、
なんか、柴さんと話してると、いや、これは肥後さんと話しててもそうなんだけど、
曝け出させられる
取り繕ったり、他所行きの振る舞いをしたり、とかしたくなくなる、いや、出来なくなる。
そうする方が失礼に感じてしまう
そんなそんなチカラをもっている人です。
その後、車で収録会場向かう途中「島宿HOPE」という宿へ立ち寄る。島宿HOPEさんはタクミたちがここの庭でライブやらせてもらったり。
思えばホナカとTDFの繋がりは何度も何度もライブやイベントをさせていただいていて、2017年のホナカ主催「アフリカンキャンプ」は、その規模の大きさなのにとっても濃密な素敵なイベントでした。
イベントって、、規模が大きくなればなるほど主催者側の一人一人にと関わる密度が普通は分散されていくはずなのに、参加された人たちから聞く満足感がとても大きいことからもわかる。柴家を中心にホナカのメンバー一人一人が「主体的」にイベントに取り組んでくれていることが手に取るようにわかる。それほど
「迎え入れてくれるキモチ」
が強いんだと思うんです。
凄いぜ!ホナカ!
だからなのか、2017年ツアーの際はロケットの発射に立ち会えました。それって物凄いですよね?確率。(僕は東京で留守番でした!!!きーーー!!)
ズルいロケーション
収録会場はもしかしたら秘密の場所かもしれないので(笑)、いや、そんなことしないか、名前は書きませんが、スパルトブルーの海・超絶綺麗な空・そして極め付けはロケットセンターまでが一望できる岬の高台でした。そうです、上の写真の場所です。
全大宴参加してくれた各チームからは「あれはズルい!」と羨望と嫉妬まじりの、本当は行きたい!って気持ちのこもった声をたくさんたくさん聞くほど、素敵な場所。
そこへ将規さんは何度も何度も足を運んで、何時くらいが太陽の向きは表情に綺麗に当たるのか?海の色はどうか?を確認したそうです。
全大宴の収録会場選びは、各チームの「地域色」と「地域との関わり」が濃く反映されていると思います。
もちろん種子島のようなロケーションを選べるのは確かにズルい!ですが(沖縄のママディ達は除く!)その部分も含めて全大宴を見てくれる方々には楽しめる要素ではないでしょいうか。
当日は天気は申し分なく晴れ。
会場へ着くと初めましてのメンバーも集結してました。
全大宴通信外伝でその半生とジェンベとの関わりを話してくれた勇さんはTDFマリツアーに参加してくれた時にお会いしていたし、小気味いいジェンベソロを叩いた、移住して島でコンピュータの会社を起業した藤井くんはTDFに来てくれてるし、もちろん柴さんの奥さんエリさんもみしまのファムドゥの時にお会いしてましたが、カソンケドゥンドゥンのあっきーとコンゴニ&ダンスのゆっこちゃんは初めましてです。
演奏前にワーク講師である肥後さんのところへ集合。この光景、試合前の監督と選手のようです。
「それ」の伝播
演奏してくれたリズムはSunu。
スヌーは我が師ダラマンジャバテ曰く「スヌは女の子の名前よ。本当の名前はGoiというのよ」と教えてくれた。
前述のようにゴッヒーは ずっと前からマリでダラマンやサール達からジェンベを習っていて、その流れはゴッヒーからプライベートレッスンを受けた柴さんへ伝播し、それがHONACAの源流となって、今ではグループワークでゴッヒーから教わったそれを毎週HONACAで練習している。
僕らはただ単にアフリカのリズムを叩けるようになればいい、ってことではなく、ダラマンがおじいさん達から教わった「それ」をダラマンという一人の人間のフィルターを通して、それが肥後さんに伝わり、肥後さんが感じた「それ」を柴ちゃんが感じて、種子島のメンバーに伝播され、そして定期的に肥後さんが島でグループワークをすることでその「それの層」がどんどん厚くなっていく、、、、、
そんな営みを粛々としているんですね。
そう、HONAKAはそれを大ごとでなく・大袈裟でなく・構えることなく粛々とやっている。
そんなほんわかしたイメージが強かったです。
ヒゴノアナ
演奏後は2020年はコロナで残念ながら中止になってしまった、勇さんが地肉を注いで取り組んでいる「満月祭」の会場へ立ち寄ったり、温泉入ったりして南種子を満喫。
夜は柴さんの家へ集結して打ち上げ(ロケットじゃないよ、そしてコロナなんで打ち上げとも言わず反省会?か)です。
東京で考えると打ち上げは近くの居酒屋とか、ですが、種子島では誰かの家へ持ち寄りで集まります。これは実は今回全大宴で学んだ大きなことで、首都圏以外は別段お店でやらずとも家でやることの方が色んな意味で良い、ということ。
もちろんそれができる住環境のこと、車社会であるとこ、 お店がそもそもないということ、とかの要因があるので良し悪しでは語れませんが、居酒屋で10人で打ち上げーーはいお会計4万円です!一人割り勘4000円ですーー・・・・しかもそんなに美味しくないですーーー狭いですーーー騒ぐと迷惑かけますーーートラブりますーー・・・・だとしたらなんか馬鹿らしいって。
最近TDFでもそれ、取り入れてます(笑)
昨日タクミと話してて、今度佐々木が料理を振る舞うことになりました。
お声がけしますので、皆さん、TDFへぜひ呑みにきて!
カソンケドゥンドゥンのあっきーが
「定置網に8キロのタイが入ったので持っていきます!」
って、本当に持ってきてくれて、しかも自分でおろして寿司職人もやってくれた!!そしてタイ鍋も!もう自分の中では全てが規格外です。
こんなに分厚くて新鮮で大量の鯛の刺身を見たことがなかったです。
あっきー!ありがとう!
打ち上げには数年前に家族で種子島へ移住したタツキが来てくれました。
ホナカで一緒に叩いてはいないけど、小さな子供がいて、農業はじめいろんな仕事をしているので本当に忙しいはずなのに、俺ごときが来るからってだけでこうして顔出してくれること、本当に嬉しいです。
それに引き換え、自分は肥後さんが町屋に来てくれる時も次の日朝が早いからって呑みに付き合わない時があったり、言い訳ばっか。
旅の良さは様々な素晴らしく素敵な経験をすることですが、その度に自分の小ささに打ちひしがれるのも事実。
まあ、打ちひしがれるの、大好きなんですけどね笑
そんな柴家の離れに
「肥後の穴」という場所がありました。肥後さんが種子島へ行くたびにその穴に入って練習するんだそうです。どんだけ結びつきが深いか、わかりますよね。
凄いです。
働く男
柴さんお家には31日と2月1日の2泊お世話になりました。
収録が野外だったので、天気の都合による予備日を設定したかったのもあって帰京は3日の夕方の飛行機に。
本当は2日まで3泊お世話になろうと思っていたんですが、フェリーの時間都合でちょっとゆとりを持って鹿児島市内へ戻ろうということになりました。
柴さんは本当に働く男で、収録のあった夜に打ち上げして
その後夜勤に行きました。
凄い。
自分もワーカーホリックなので人のこと言えませんが、柴さんの場合はその比じゃない。睡眠は大事ですよ!
俺に言われたくないか(笑)
おくさんのえりさんもいろんな畑をやってて、その時はスナップエンドウ。
もう緑の綺麗さで目が眩みます。
スナップエンドウ、ほぼ毎年柴さんがTDFへ送ってくださっていて、もうその美味しさが半端じゃないです。
安納芋といい、スナップエンドウといい、柴さんと知り合ってなかったら食べてなかったかも。
帰路の港までは勇さんと奥さんのミサキちゃんが車で送ってくれました。奥さんはその時お腹に赤ちゃんがいて、2021年6月に元気な男の子誕生!!おめでとう!!
途中、河津桜がすでに咲いているところがあって立ち寄ります。
2月2日ですよ!もう桜!
だって暖かいですもん!種子島!
ミサキちゃんは別としてゴッヒーと勇さんは桜が似合いません。
言葉じゃない
フェリー乗り場で勇さん達と別れて待合室へ行くとタツキがお子さんと一緒に見送りに来てくれていました。
30日の糸島から始まってたった4日間ですが、いろいろな人がたくさんの想いを持ってくれていて、それを伝えてくれて、それもありきたりやうわべだけの言葉でない、思いの丈を、様々な伝え方で伝えてくれた。
もちろんそれは言葉だけじゃなくて、雄弁でもなくて、ましてやSNSじゃない。
こうして東京ではそれほど一緒にいたわけでもなく、それでもジェンベ界って特殊な同じ趣向の、ちょっと変わった奴らの集まりに身を置いている同志って思ってくれたからなんだろうけど、そんなタツキが見送りに来てくれた。
ちょっと涙を我慢できなかったです。
みしま(薩摩硫黄島)もそうなんだけど、フェリーの発着って、揺さぶられますね。
あれ、なんなんだろう?
蛮行
揺さぶられまくった僕は対コロナってこともあったけど鹿児島での一泊を肥後さん宅へお世話になることをせずに爆安いづろを予約しました。肥後さんにしてみれば「水くさい」って思ったかもしれませんが、その時の心境は一応PCR検査はやってきて陰性だったけど、奥さんにも迷惑かけたくなかったのもあるし、迷惑かけるって思う自分も途方もなく嫌だったのです。
蛮行だってことは十分わかっていました。しかし肥後さんは何も言わずに奥さんと一緒にホテルまで送ってくれました。
翌日、以前みしまで一緒になったチアフルのまこっちゃんと連絡とって一緒にランチしました。ラーメン大盛とチャーハン(笑)。まこっちゃんは相変わらず軽快で、コロナの今は漁をしているそうです。
まこっちゃんと別れてバスで鹿児島空港まで。
最後にお世話になった、なりすぎた肥後さんへ電話をしました。最後は何だかフェイドアウトしてしまったような別れ方だったから。
そう、肥後さん、例のテーマソングのソクーソロ、収録翌日の2月1日と2日にレコーディングをトライしましたが、なかなかフレーズが決まらなかった。そうです、キーがいい感じで合わなかったのです。
それでも肥後さんは何度も何度もトライして、1日夜、最後は佐々木は深夜「肥後さん、頑張って」と言って無責任にも先に寝ちゃいました。
んで例によって早朝起きたら、、、、、なんと肥後さん、まだソクーソロにチャレンジしてました。
その姿を目の当たりにしたから、テーマソングが完成して最初に聴いた時に肥後さんのソロで号泣しちゃいました。(サブニュマたけちゃんの歌の後いきなり炸裂します!)
そんな肥後さんと何となく別れて、正反対なチアフルまことと鹿児島最後の時を過ごす、それもいいか、と思いながらも、この30日夜からの5日間の途方もなく大きく温かく素敵な出会いは肥後さんがいてくれたから出会えたものだったから、一言ありがとうを言いたくて電話しました。
そうしたら肥後さんは
「もう空港向かってます」
って。
絶句です。
これ以上は書いても書ききれないので割愛しますが、この全大宴スタートである南日本収録ツアーは
2020年、あれだけ人と接するな・関わるな・離れろと言われ続けていた僕らは、やはり間違ったことを言われていたんだって再確認した
人が人と接することの凄さ
を噛み締めた旅でした。
3日後の6日土曜には夜行バスで八戸のサム助率いる八戸ジェンベ部、火曜には仙台ベージャンへ向かう「全大宴東北収録ツアー」が待っています。
つづく