初ダブルヘッダー

思えば全大宴1は1月末から毎週末収録の旅をしてた。
2月末には10チーム全ての収録が終わってたんですよね。
効率良く回れるように講師陣が協力してくれたっていうのももちろんだけど、なんだかんだ言って1月後半から2月はコロナ感染がひと段落していたんですよね。

そこへいくと全大宴2は声かけ始めた3月末から第4波が来て、いきなり出鼻をくじかれた。
5月後半に一旦減少したので「事前訪問の旅」を7月までやりました。しかしながら本来8月に収録予定だったのがデルタ株混じっての第5波がドカンと来てしまい、結局9月前半の佐々木の行かない秋田・山形の収録本番から始まり、飛び飛びで結局最後に収録を終えたユージマンのところは11月7日でしたので2ヶ月かかったということ。

そんな2021年の全大宴でしたが、初のダブルヘッダーは約1年前の2月21日、お昼にアフリカ新座収録、そこから環八をぶっ飛ばして世田谷のつるもく収録へ、というチャレンジでした。

今号もちょっと長くなりますので、まずはアフリカ新座の発表演奏をご覧ください。

SINCE2002

アフリカ新座、、、
ユーキンこと倉本有と奥さんのゆーこちゃんが結婚して新座へ移住して

「家族と共に、ここに根を張ろう」

と決めて作ったアフリカンコミュニティの名前です。

あれ?と思った方はツウですね!
そう、アフリカヤマガタアフリカフジなど、アフリカ〇〇という名前は日本にいくつかありますが、フジの小鉄やヤマガタのアジキンとユーキン(呼び名まで似てやがる!)は、仙台のシンゴと「ンボレ」
というアフリカンバンドを組んでいます、、、って位仲が良い!

そのユーキンと佐々木の付き合いは結構古くて、もう20年くらいになります。

そのころのユーキンは二十歳くらいか、生まれ故郷の青森は陸奥から上京してきてすぐにユウはジェンベと出会います。そしてストリートで叩いたりしながらもレオ(駒沢レオ)のワークショップに通い出して、そしてジェルジェフという故KAZUのアフリカンバンドに加入します。

出会ったのはその頃。
まあ見た目とか言動とか思えば少しづつ落ち着いてはきてますが、、基本

全然変わらない。

そのユーキンに「東京にアフリカンのバンドを作ろう!」って声をかけて江戸マンディンカというバンドを組んだのが2005年。2006年のママディケイタ東京ワークショップのオーガナイズは江戸マン総出でコーディネイト。
そこからユーキンとは事あるごとに一緒に活動してました。

僕は、何かあるとすぐにユーキンに声を掛ける。

江戸マンを解散した後もユーは必ず乗っかってくれました。
フィットネスでの活動、各方面でのイベントやライブ、町屋アフリカ屋でのBARマンデー、そしてTTMDA東京予備校開校の時も。

多分信頼してくれていたんだと思う。

そしてユーキン達に待望の女の子ソラちゃんが誕生!
新座へ転居したのはソラちゃん誕生がきっかけでした。

地域に根を張る

新座市は埼玉県と東京の県境、そう佐々木が住む西東京市と隣接してます。

今でこそ県北の直(スナオ)くんたちがワークショップを始めてますが、日本にジェンベ文化が入ってきてから数十年、埼玉県にはマンディングの流れをしっかり汲むジェンベやアフリカンダンスのワークショップが存在していなかったのです。
もちろん単発的や独自の解釈に基づくワークショップはあったかもしれませんが、後で述べますがラウラウにベタ付きで習っているユウのようなドラマーやゆーこちゃんのようなダンサーが実施するクラスはなかったと思います。

それはアフリカンダンスにより顕著に表れていました。
ドラマー不足による音源で実施するアフリカンエクササイズ的なダンスレッスンや、自己解釈、故にその良さが正しく伝わらないために根付かない、、、、といった悪循環。

ユウとゆーこちゃんがソラちゃんと3人で埼玉県新座市に根を下ろして

「埼玉県にアフリカンを根付かせよう」

と決意して駅前のスタジオで毎月定期的にワークショップをしたり、地域のお祭りに参加したり、地道に誠意ある活動をしてきて、少しづつ参加者や「アフリカンって楽しいね!」っていうファンが増えてきた2020年、、、、、コロナ禍がやってきました。

言わずもがなですがコロナ禍はいろんな物事に影響を与えてきてますが、ユウ達にとって大きかったことの一つはレギュラーで使用していた駅前のスタジオがいずれ閉鎖されることになったこと。
なにしろ駅降りて30秒で行けるスタジオは使い勝手も良かったし、新座駅という都心からの不便さを一気に消せる事項でした。

今は志木の市民体育館で実施しています。多少駅から離れてますが、その分広々した空間で気兼ねなく叩けて踊れてと、いい空間だと思います。

 

家族ぐるみ

アフリカ新座は、ユウとゆーこちゃんの人柄やソラちゃんも一緒にいるっていう朗らかさも相まって、参加者さんたちも家族ぐるみで付き合っているという点に於いて埼玉県ではあるけれど首都圏としては珍しいアフリカンコミュニティだと思います。
特にアフリカンダンスは子供を連れてきても子供同士が一緒になって遊べるという点が秀逸で、首都圏以外のコミュニティに限りなく近い、理想的な展開ができています。

そのアフリカ新座発足当初から彼らを支えている素敵な夫婦、、、、

事項で書きたいと思います。

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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