前置き

私の話ですみませんが、北海道について少し書かせてください。

少年期、釣り好きでした。釣りキチ三平の影響をモロに受けて、それまで毎日着ていたど根性ガエルのトレーナーとサングラスを麦わら帽子と草鞋に履き替えて、三平が巨大なイトウに立ち向かった北海道へいつか行ってやる!って思ってましたし、そう中学生の時、旅が好きで好きで、自転車で湘南行って野宿して、、とか埼玉から銚子の犬吠埼まで自転車で行って野宿とか、、、そう、野宿大好き少年だったんです。
そしてその頃から「バイクで北海道一周」が夢で毎月月間オートバイとモーターサイクリストっていうバイク雑誌を隅から隅まで読んでました。そこには膨大な広告(笑)とメチャ魅力的なツーリング日記があって、もう毎日夢想(笑)

1981年12月に16歳になってすぐに原付取って、翌夏には自動二輪を紆余曲折ありながらも府中の一髪免許で取って、、、そしていよいよ北海道一周へ向けてフェリーの予約とユースホステルの予約をしました。サイロを改造して宿舎にしていた宿や、サロマ湖を望む人気の宿など、、

さあいよいよって時!出発2週間前に免停180日を喰らいました!

さあどうする?佐々木少年。

諦めたんです。
ぶっちぎることは出来ました。でも、それをしたら小学生の時から憧れて憧れて大事に大切にしてきた北海道に申し訳ないって思ったんです。それ位

北海道は特別な存在

34年前の札幌市街

でした。僕にとって。
そして大学の卒業旅行は迷わず、今度は車で北海道を一周しました。しかも2月に。
しかも4WDではあったけど普通タイヤで(笑)
東京から高速で青森、大間漁港からフェリーで函館、ニセコでスキーして札幌、岩見沢、小樽、北上して名寄、オンネトー、本名サロマ湖「船長の家」で延泊(笑)、納沙布・知床・ウトロ、そして三平が谷地おじさんと巨大イトウを釣り上げた根釧原野、丹頂鶴、帯広、北の国から富良野、襟裳岬、そして苫小牧・・・・

長くなってすみません、それ位佐々木にとっての北海道って思い入れのある地なんです。
その北海道に、釣り〜バイク〜旅、、そして今回は自分の人生であるジェンベで足を踏み入れたんです!

 

 

会場到着

北海道だけに『積丹』ではないけどたまちゃんの軽ワゴンにはジェンベやらドゥンフルセットやらがギッシリで

ある意味『シャコタン』

そんなこんなで収録会場であるリハーサルスタジオのあるイオンモールに到着。

まだちょっと時間が早かったので、まずはスタバでお茶します(笑)

思えば今までの9チームの会場は海やら公園やら公共施設やらで、純粋にリハーサルスタジオっていうのは初めてです。
強いて言えばアフリカ新座がスタジオだったけど、音の響きがそれらのどれとも違う、収録される音がどんな感じになるか、例えば八戸のような大きなホールなどはワーって反響して広がる音だったし、種子島のような野外では自然に溶け合って返りのない無垢な音だったし、、、、

そしてアングルも決してだだっ広いスヤジオではないので正面からの引きが取れず、手持ちの一眼レフでどう立ち回るか?が腕の見せ所なんじゃないか、、、、

スタジオに入ってまず感じたドキドキ、、、、

たまちゃんは今回叩かずに我慢。

講師が叩く叩かない問題は、いろんな考え方とか意見があるんですが、当初は「どっちでもいい。叩かなくて生徒さんが不安になるなら叩くべきだし、でも叩きすぎて全編講師のリード、、じゃぁ生徒さんたちのためにもならない」って各チーム任せにしてました。でも全大宴の目的であるジェンベファンの再着火という点に於いて、今となってはある程度一緒に参加してあげてもいいかなとは思います。もちろん参加人数にもよりますしね。

たまちゃんはその分、熱く強く見守りながら、直前まで色々アドバイスを送りながらの軽いリハを終え、さあ本番です”

 

収録開始!

黒一転、センターの吉田さんのジェンベからスタート!

吉田さんは寡黙でいかにも北海道の男っぽい、たまちゃんの札幌での活動を古くから支えてくれている男性。

ジェンベのテンション、結構高いです。

これ、今回の全大宴で分かったことですが、各チームのジェンベの音色は、やはり、と言うべきか、講師の指向するジェンベミュージックの感じに

「寄ってる」

ということ。
もちろん習っているアフリカ人の音楽性・民族・リズムの感じによっての違いもあるし、また参加人数によっては少人数であれば各自のジェンベの音を「通しやすい」ことから個性出ししやすいけど、人数が多いとどうしても音が通せないことから(通せないと思い込むことから)ジェンベのテンションが結果的に上がってしまう、、という部分は少なからずあると思いました。

吉田さんが頭で叩き出す「コロッカラッカカッカラカカカ」を聴いただけで、そこからたまちゃんがラウラウからどんな想いでジェンベを習ってきたか、、や、

そのたまちゃんのことをメンバーがどう思ってきたか?

が心に染みてきたし、その音きっかけで組み上げたキメの雰囲気でチームの方向性が7割がた伝わった、いい出だし。

前の記事で、たまちゃんが「みんな初めて間もない方ばかり。すぐ覚える」って言ってたけど、吉田さんが長いのは分かったとして、ソロの叩きっぷりやドゥンドゥンの安定感とか、

誰が初心者やねん!

って突っ込みたくなるくらいみんな堂々としてた。

ソロ一発目は「たまちゃん、厳しいけど可愛いよ」って言ってた(吉田さんは「それだけだね」って言っていた)タカ子さん

そしてテーピングだらけの指、きっとメチャ練習したんだろうなってみずがいさん

きっと、本当に始めたばかりだったんだろうな、頑張って伴奏を叩いてたりおちゃん

そして歌にジェンベソロに、チームの精神的柱の吉田さんは、たまちゃんのことをずっと支えてくれています。当日は超緊張していて、そんで歌も歌ってくれたんですが、歌用のマイクをセッティングしていなかったが僕の心残りです。

縦ドゥンのおおのちゃん、パワフルでした”!そしてスーペルポーゼのようこちゃんは富士の小鉄のとこで初めてジェンベに触れた方です。

本当の初心者_なのに何故?

実はたまちゃんはジェンベに出会う前、小さい頃からしっかりとピアノやブラスバンドをやっていて、比較的アカデミックにジェンベ音楽を捉えることができる能力を持っていて、一見荒々しく動物的なプレイに見えるジェンベから垣間見える「知性」に、今回参加してくれてるみんなは「気づけるチカラ」を持っていたから集まったんじゃないかって思うんです。ここでも

引き寄せの原理

ですね。
実際、みんなクラシックを現役でやっている人たちでした。自虐で「クラシックの人は融通が効かない」って言ってますが、そんな自分達のことも、たまちゃんのことも誇りに思ってるからだと思います。

配信当日のMC含めた演奏全編はこちらから

アカデミック

ジェンベってどちらかというと「感覚的だから理論は必要ないぜ」っていう意見をよく耳みしますが、イヤイヤどうしてどうして、それだけじゃただの野生です。

もちろん理論に縛られる必要はないけれども、一人じゃなく複数名で一緒に奏でる際の「落とし所」として理解を共有するための手段として理論は絶対に必要だと思います。
それは必ずしも譜面とかである必要はないけれど、なんでこんなこと思ったかっていうと、まさに僕は以前「理論なんて、ケ!」って思ってた口だから、その限界をよく知ってる。

2011年にみしまでママディのワーク合宿があった際に、たまたま隣でワーク受けてたフォリカンのタカオがワンフレーズごとにノートにタイコ言葉を書いていて、カンニングが如く覗いたらびっしりとノートにフレーズが書いてあった。
一見飄々として勘であの超絶なドゥンを叩いてる天才って見えるけど、、、、あ、そっか、やっぱ書いたり考えたり共有したりってするための手段としての理論は大事なんだって、思います。

たまちゃんのクラスに参加したことはないけど、きっと感覚プラス解説する際の落とし所をわかってもらうのがとても上手なんだなって、今回の収録しながら思って見てました。

 

無事収録も終え、会場をあとにします。緊急事態宣言下なのでモール自体の営業も21時で閉まってしまうため、割とサクッと片付けたんですが、なんか、みんなともっと交流したかった僕は駐車場で立ち話したり、せっかく冬の北海道なんだからみんなとの記念写真を雪あるところで撮りたい!ってワガママ言って外で写真撮らせてもらったり、、、

なんかほんわかしました。

今度、コロナが終わって北海道行った時にはぜひ一緒に叩いたり呑んだり食ったり喋ったりしたいね。

帰りもたまちゃんがホテルまで車で送ってくれたんですが、まさに路面はアイスバーンなのにガンガン走る走る(笑)。

ホテルに戻って風呂入って、もう時刻は22時過ぎていたんですが、味噌ラーメンとか寿司とか、、、一応周辺を探測しますが、もうどこも閉まっていて真っ暗。除雪車だけが元気に走り回ってるっていう、これも冬の北海道なんでしょうね。

夜の光景ってコロナ前はどこも大体繁華街はおんなじでしたが、コロナ禍で夜の風景は、それぞれの街を映し出しているように思います。匂いとか湿度とか、音(海とか風とか足音とか)とか、札幌はススキノとかはわかりませんが、少し郊外へ出たら本当に静かなんじゃないかな。

除雪車のゴーーっていう音は僕の脳裏に北海道の夜の音として刷り込まれました。仕方なく東京ではお目にかかれない、かの有名なセーコーマートでお弁当と札幌ビール買ってホテルで収録したデータ確認しながら呑んで寝ました。

待望の味噌ラーメン

泊まったホテルは北海道第一ホテル札幌。朝食付きで4000円というリーズナブル価格にもかかわらず、朝食が海鮮丼!
しかも激うま
次回札幌行く時も泊まろう!

http://www.toseikai.net/news/toseikaizukan-24/翌日の帰京便は夕方だったので、バイソンこと梅ちゃんに会いに行きました。
梅ちゃんは震災きっかけで札幌へ移住しましたが、それまで西東京で、一緒にホリサンっていうアフリカン?のバンドを組んでました。
その頃から介護の仕事をしていて、北海道でも引き続き介護の仕事で、しかもその頃は大きなプロジェクトを独立して仕掛けている最中でした。

久しぶりにあった梅ちゃんは相変わらず飄々としていて、小洒落た喫茶店で小一時間話しただけだったけど、嬉しかった。

んで梅ちゃんにおすすめの味噌ラーメン屋を聞いたところ「月見軒本店」を教えてくれました。
札幌はたくさん味噌ラーメンのお店があるけど、月見軒にはなんとソロちゃん(ソロケイタ)のサイン色紙があるよってことで、梅ちゃんと別れて徒歩で向かいます。
途中、歩道は雪で埋まっていて、その中を機材入りの大きく重たいスーツケースを転がして歩くんだけど、、、転がらないので持ち上げて進みます。これ、結構しんどかった。

11時半開店少し前に行きましたが、もう並んでた!

信じられないくらい美味しかったです。

そしてソロちゃんのサイン色紙も!本当にあった!!

それから市内散策をして、札幌駅でたまちゃんと待ち合わせて、たまちゃんがワークショップをしているお店「みんたる」へ行きました。

みんたるはこじんまりした、とても素敵なフェアトレード雑貨&レストラン。可愛い小物に囲まれて美味しいチャイを頂きました。

どこかアイヌのテイストを感じる店主みかよんさん、個性的な常連さん、に囲まれて、きっといい雰囲気のワークをさせてもらってるんでしょうね、たまちゃん。

また札幌駅まで送ってもらって、たった二日間ではあったけど、なんとも密度の濃い札幌時間を過ごせました。

たまちゃん、本当にありがとう。

新千歳空港のスカイマークカウンターに置いてあった冊子を成田からの電車内で何気なく見てたら、日本地図がありました。

俺、今北海道にいるけど先々週は種子島にいたし、そのあと八戸にもいたし、また山口とか・・・・・って日本地図眺めて

まだまだ沢山のジェンベ好きタチが沢山の地域で日常と格闘しながら叩いてるって思ったら

全大宴の収録は週末のアラカリ大ちゃんのとこで終わるけど、なんか絶対全大宴って成功すると思ったし、全大宴2をもしできたらもっともっとたくさんの日本のジェンベ好きたちと交流できるし、そんなみんながなんらかの形で繋がれたら・・・・・・・

 

震えがきました。本当、嘘じゃなく。

 

そんな全大宴1の収録の旅、次回はファイナルです。

 

続く

 

By ジャンベ佐々木

1965年東京都練馬区生まれ(現在55歳) 小学6年生の時、父に連れられて行った銀座のクラブで沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌ってかぶってた白い野球帽をシャって投げたらクラブ中が沸いてホステスさんにムギュってされてから人前で何かやることの快感を覚える。 1991年ジェンベと出会う。2001年ジェンベネットショップ「楽屋」創設、2006年加藤タクミと「TDF東京ジェンベファクトリー」創設。2012年に第一回ジェンベ大発表宴会を開催、2021年3月に「全国ジェンベ大発表宴会1」を開催。

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